科学論文は「真実」を明らかにしているのか?

今週の記事は私の個人的な意見を書いてみようと思います。

最近はコロナウイルスワクチンや治療薬について、いろいろな議論が交わされているようです。臨床の先生を除く多くの方々が医学論文をあまり読まれないと思うので、論文に対する私なりの見解を述べておこうと思います。

まずは科学論文が世の中に発表される手続きを簡単に説明したいと思います。

1:研究者によって実験が実施されます。最初に検証すべき仮説がある場合もありますし、実験中に見つけ出した「セレンディピティ」が元になって進む実験もあります。

2:複数の実験結果を見て、なんらかの仮説を提唱できそうかを考えます。そしてその仮説を導き出すために必要な実験があれば追加していきます。

3:これらの実験結果をまとめつつ、実験結果から合理的に推測できる仮説を提唱するような論文を書いて、科学雑誌に投稿します。

4:論文を投稿された雑誌の編集部は、その論文をその分野を専門とする研究者に読んでもらいます。その時に重要なのは、①仮説を証明するためのデータはしっかりしたものか、②提唱されている仮説は新しい(もしくは以前の仮説をより確からしく証明した)ものか、の2点だと思います。その論文を検証する研究者(査読者と呼ばれます)は、この2点に基づいて、追加のデータの要求および「独善的な」主張の書き換えなどを要求します。

5:編集部は複数の査読者から得られた意見をまとめて論文の取り扱いを決めます。多くの場合は「書き換えおよび追加実験の実施の要求」か「掲載拒否」となります。以前は、6ヶ月以内の改定などが多かったのですが、最近は、「掲載拒否だが改定による再投稿可」という決定も多くなってきたイメージがあります。

6:論文の著者は、自分の言いたい仮説を弱い表現で書いたり、仮説を検証する実験を追加することで論文を書き直し、科学雑誌に投稿します。

7:ほとんどの場合には査読者全員が、その論文の主張する仮説と検証方法に納得したら掲載許可となります。

ここまで読まれてきて、表題に対する私の意見はわかっていただけたでしょうか。論文はあくまでも実験や理論に基づいた仮説を主張しているのであって、唯一無二の真実を提唱しているわけではありません。

話がそれますが、ネット上では新型コロナウイルスの治療薬として、日本の会社が開発した薬品を投与すべきだとか承認すべきだという意見が見られます。この「薬品XXXが新型コロナウイルス治療に効果がある」という仮説を主張するのは構わないのです。でも医者や厚労省としてみれば、科学的な手続きに沿って主張してもらわなければ全く意味がありませんし、おそらく耳を傾けてすらいないでしょう。

科学論文の根幹だと思うのですが、「薬品が効果を示した例がある」ことと「その薬品が治療に効果がある」ということは全く違います。いずれも実験事実(臨床事実)に基づいたものではありますが、薬品以外の可能性を排除していない「少数例」の説得力は皆無です。「アーモンドを食べた2人の重症患者さんが新型コロナから回復した」と言われて、今日からアーモンドをみんなが食べるんでしょうか?きっとアーモンド以外の要因で回復したと考えるんじゃないでしょうか。

「アーモンド」を早く承認して治療に使えば、その検証もできるしいいじゃないかというコメントもあります。でも税金を使って「アーモンドを治療に使いましたが効果はありませんでした」とか、「実はナッツアレルギーでより重症化する例が多くありました」という時の非難の大きさは簡単に想像できますよね。だから、より多くの人が納得できる仮説について、より慎重に臨床的な検証をするのが医薬品などの承認手続きの基本姿勢なのではないでしょうか。

論文は客観的な真実を示していないのか?と疑問に思われる人もいらっしゃると思います。仮説が魅力的なものであれば多くの研究者がその仮説を検証し、またその仮説を土台にして新しい研究を進めようとします。「真実」ではない仮説はそのどこかでほころびが生じるはずです。何年にも渡る検証を耐え抜いた時に、「論文で主張する仮説が真実である」と信じる人が増え、そのことが真実だと思われるようになります。でもそんな「真実」であっても、数十年経ってから覆されることもあるんですけどね。

結局のところ、「真実は神のみぞ知る」というのが「真実」なのだろうと思います。

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