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富士山note

富士山との距離感の変遷

東京の西部地区で生まれ育ち、社会人になってからは神奈川の多摩川付近に長く住んでいた自分にとって「富士山」は比較的近くにいる存在で、冬の晴れた日にキレイに見えると清々しい気持ちをもたらしてくれた。それと共に、見ようと思わなくても見える存在だった。

しかし、2016年名古屋に転勤したことをきっかけに「見ようと思わなくても見える」存在からは遠ざかり、新幹線に乗った時に見える貴重な風景となった。今、思えば(&無理やり意味づけするなら)寂しさはあったものの「貴重さ」がその存在の「尊さ」として認識させることにもつながっていたと思う。

2020年関東に戻り、駆け出し高尾ランナーの頃、城山・景信山・陣馬山それぞれで見える富士山に気持ちが整う感覚を味わう。

そして、2022年相棒が「ウルトラトレイルマウントフジ」に出走することをきっかけに、レース前の試走に数回同行し、レース本番で、サポーターとしてまるまる3日間富士山の周りを駆け回り、自分の中での「尊さ」に加えて自ら会いに行きたい存在になった。

様々な富士山の表情

霊峰富士

2023年1月3日。自ら会いに行きたい衝動を行動に変え、ウルトラトレイルマウントフジの2022年コースの一部を走る「年始富士山参拝トレイル」を決行。

山中湖交流ぷらざ きらら、明神山、平尾山、どこを走っていても常に見える富士山。特に、明神山、平尾山からは「富士山と対峙」する感覚を得られる最高の場所だった。走る足を止め、しばらく富士山を見つめながら対峙していると、圧倒的な安心感から「自分のすべてをゆだね、すべてを許される」ような感覚が湧いてきた。さらにその時に自分の中に降りてきたのは、「もはやその存在は”神”」。まさに「霊峰」とされることへ実感を持った。

多くの日本人を魅了する富士山。その実際は「活火山」なので、恐ろしい存在でもある。しかし、今の私にとっては「気持ちのよりどころ」であることは間違いない。

これからも何度でも自分から富士山に会いに行こう、と誓った2023年1月3日。言語化は2週間遅れたが、Quest My Roadの大切な一部なので、ここに書き記す。

霊峰富士

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