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ベナ調=ART

※西村 毬乃様 の作品より画像を、お借り致しました。
インスタ→@marino.nishimura
Twitter→@mari_n_0

被写体
イケイケな作曲家ベナ様
インスタ→@__b_e_n_a__
Twitter→@__B_E_N_A__

YouTubeチャンネル ↓ (ここで楽曲聴けます!)


曲創り
どこから生れる?
アウトプットはどうやるの?
リズム
メロディ
ハーモニー
どの順番で生まれるの?
疑問符がたくさんの音楽の世界
先日、インスタライブで実際の作業を少し
覗かせて頂きました

内側にあるものを外へ形造るのは
地道で孤独なもの
文章も画も音楽も
脳内にあるものは簡単に外部に繋がらない
技術が必要
発想や閃きなどとARTによくいうけど
思い付くより排出の方が困難で苦しい

曲は創ったことないので興味が湧きます
彼は
『たくさんのメモがある』
と、仰りました
『どんな時でも曲のことを考えてる
例えば、珈琲を持ってる時でも』
『連想ゲームみたいに』
彼らしい表現だと感心しました

《ベナ調》といわれる音楽を創りたい
彼の芯にあるものだと思う
誰にも出来ない曲
イントロ聴けば彼とすぐ分かる曲


前の記事で書いた《Cheek》↓


《Cheek》に関しての彼の想いが聞けた事は
私にとって大きな理解へのpartsになりました
『Cheek好き?』
『あれは誰でも創れる。僕じゃなくても』
『好きだけど、それはそれで好きだけど』
『ベナにしか創れないオモロい曲を創りたい』

そうなの!私もあのアルバムの中で
とても大衆ウケのナチュラルな曲を創ったなぁと
毛色が違う
で、私の感想も両極端な
《ベナ調》=《Good Night》

《ナチュラル大衆》=《Cheek》
この2つをチョイスしました

《踊る右手》にある
〝クリエーターマインド<経営者マインド〟
この歌詞が如実に表してます

創りたいもの

売れるもの
は、必ずも一致しない
どんなに良いものを創っても理解してくれる人がいなきゃ意味ない
また
聴きやすい曲

コアな鋭い曲
は、大抵の場合かけ離れてる

ARTを取るか
金を取るか

芥川賞は直木賞に近づいている
最近思うこと
芥川賞は芥川龍之介先生が書かれた
作品のように、頭おかしいくらい天才はちゃめちゃがよい
「訳わかんねーよ」
って読了感が芥川賞だと思ってる
売れる本じゃなくていい

あ!話がズレた!!

つまり、デモ曲は《新しいベナ調》だったので聴き入ってコメント出来なかったよ
凄くsexyで一歩踏み出たベナ調!
愛してます
という熱い想いです

あれ?まとまってない

【良い】と感じるのは聴き手だという最終結論
音楽に知識がない私などは単純に
惹かれるか、そうでないかでしか判断できない
私のメンタル状態も大きく関わるし
純粋な音楽評価なんて遠いこと
しかし、大抵の場合曲を手元にするのは一般人
個々の琴線で決まってしまう
流行や仲間意識で聴く人もいる

カッコイイ
センスがある

それ自体が流動的であり

綿あめみたいにふわふわしてる

私が一番避けたいのは

推しの曲は、推しの言うことは全て最高だ!

という、信者にだけは成りたくない
ARTだけでなく人間性や生き方、思想
それは、私が私の基準

もし
推しが私にとって、好ましくない曲を創ったら普通に批判する立場で居たい
それが愛じゃないかな?

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