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観音崎・浦賀周辺の神社巡り③(東叶神社編)

観音崎・浦賀周辺の神社巡りの記事、第3弾です。


友人のナイスサポートにより、徒歩で鴨居八幡神社から東の叶神社に移動するという無謀なことをせずに済み、バスでかもめ団地から東岸の叶神社の最寄りのバス停である新町へ。


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叶神社の手前に井戸が。今でも使われているのかな?


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東岸の叶神社。1181年に市川猿之助じゃなかった(←「鎌倉殿の13人」)文覚上人が、石清水八幡宮を勧請したのが始まりだそうです。

なお、門柱の奥にある茶色い碑は……。


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日西墨比貿易港の碑。日本とスペイン領メキシコ、フィリピンを結ぶ貿易港を記念する碑、ってことですね。うーむ、浦賀がアカプルコ貿易(ガレオン貿易)の中継地の1つだったとは、知らなかったです。


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浦賀湊。ペリー来航以前に、すでにここが世界とつながっていたとは……。


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石段の両側に繫茂しまっくている蘇鉄。この蘇鉄はというと……。


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大泉洋、いや源頼朝がもたらしたものです。


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狛犬、吽形。これ、あとで西岸の叶神社にいた方の説明では、背中に子獅子を載せていた模様。


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狛犬、阿形。これまたあとで聞いた説明では、子獅子にお乳を飲ませていた模様。知っていたら、それが分かる角度で写真を撮ったのですが……。


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拝殿。


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本殿の裏山の椿。


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白椿もありました。


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山頂には、勝海舟断食の碑があるそうな。体力温存のため、碑そのものは観にいきませんでした。しかしドラマとかで豪快なイメージのある勝海舟ですが、航海の安全を祈って断食していたとは。やはりそれだけ、太平洋を渡るには、並々ならぬ覚悟が必要だったのでしょう。


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「勝海舟断食修行の折使用の井戸」から汲み上げた水。竜の口から出ています。


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一応、五十円玉を洗ってみました。お守り袋の購入が勧められていますが、買いませんでした。なぜなら同じ500円で、別の袋を買ったから。何の袋だったかは、西岸の叶神社の記事で判明します。


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不動明王像と思われます。神仏習合の名残でしょうか。


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やはり海まで一直線!


この後、西岸の叶神社を目指します。





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