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新型コロナウィルス騒動を通して、ペストについて考えてみる~モンゴルの交易ネットワーク~

1年前、新型コロナウィルスの流行が拡大するにつれ、比較対象としてスペイン風邪やペストの流行について振り返る動きが出てきました。この記事では、主に14世紀のペストの流行とそれがもたらしたものについて、まとめてみます。



1.ペストとは

ペストとはペスト菌に感染することで起こる病気で、中国の雲南地方の風土病だったと言われます。本来はネズミなどの齧歯類の病気ですが、感染したネズミについたノミに噛まれると、人にも感染します(腺ペスト)。感染者の咳による、空気感染もあります(肺ペスト)。


発熱とリンパ節の痛みから始まり、肺炎や敗血症に至ります。敗血症になると、内出血のために全身に黒いあざができて死ぬことから、「黒死病」とも呼ばれました。


主に14世紀半ばに猛威を振るい、死者の数は推定でしかないものの、7500万人から2億人の命が失われました。ヨーロッパでは人口の3割から4割、ユーラシア大陸全体では人口の4分の1が命を落としたと言われます。



2.モンゴルの交易ネットワーク

雲南地方の風土病であったペストが、なぜ14世紀のユーラシア大陸全体に広がったのか。それはモンゴルの交易ネットワークに乗って運ばれたからです。13世紀初め、チンギス=ハンによって1つにまとめられたモンゴル民族は、強力な騎馬軍団により、みるみる支配領域を広げました。


モンゴル高原、中央アジア、中国の華北一帯を支配下におさめた後、チンギス=ハンの孫にあたるバトゥのヨーロッパ遠征の結果、今のロシアやウクライナあたりがその支配下に入りました。13世紀半ばのことです。これをロシアでは「タタールのくびき」と言います。中央アジアにはチャガタイ=ハン国、ロシア一帯にはキプチャク=ハン国が築かれました。


更に大ハン就任前のフビライにより、雲南にあった大理国が滅ぼされます。この時、モンゴル軍はペストを拾ったものと思われます。その後フビライの弟にあたるフラグが西アジアを支配下に置き、イル=ハン国を建国します。


そしてフビライが朝鮮半島のコリョ(高麗)を属国とし、大ハンに就任後、江南の南宋を滅ぼし、ついに中国統一を果たしました。その前後に、日本への2度にわたる遠征(いわゆる元寇)や、東南アジア一帯への遠征が行われています。


日本遠征については、神風と言われる季節外れの台風の結果、2度とも失敗しましたが、東南アジアでは自力でモンゴル軍を撃退した国がほとんどです。代表的なのは、チャン=フン=ダオ(陳興道)将軍率いる陳朝大越国で、今のヴェトナムにあたります。


ちなみになぜ日本や東南アジアへの遠征が失敗したかと言えば、海戦に弱いからです。騎馬戦では無敵なんですけどね。


こうして元と各ハン国を合わせ、ユーラシア大陸の広大な範囲を支配下に置いたモンゴル民族ですが、そのおかげで東西交易が活発化します。それをパクス=タタリカ(タタールの平和)とかパクス=モンゴリカ(モンゴルの平和)と呼びます。ジャムチ(駅伝制)が発達しており、交通や情報伝達の便も良かったのもあります。西欧からも、多数のヨーロッパ人がやってきました。代表的なのは、フビライに仕えたマルコ=ポーロですね。彼が口述した『世界の記述(東方見聞録)』に、黄金の国ジパングの話が出てくるわけです。


本筋に話を戻しますと、こうして東西交易が活発化したため、ペスト菌がヨーロッパまで運ばれていくわけです。



3.なぜペストは14世紀のヨーロッパで大流行したのか

ペストはユーラシア大陸全体で流行ったのに、主にヨーロッパでの被害が際立ちます。ヨーロッパでの死者が2500万人なのに対し、中国大陸では1300万人と言われます。中東でも2400万人が命を落としましたが、その典型例がマムルーク朝で、王朝の衰えにつながりました。マムルーク朝については、以下のnoteの記事で触れています。



なぜヨーロッパで大きな被害が出たのかというと、それにはまず、10世紀頃に鉄製有輪犂が発明されたことが影響しています。鉄製の重い犂を牛馬に引かせるため、それ以前よりも深く耕すことが可能になり、森林の開墾が進みます。結果、いわゆる大開墾時代(11世紀後半~13世紀前半)を迎えました。


大開墾時代を支えたのが12世紀に登場するシトー派修道会で、修道士の労働を重んじたため、シトー派の修道士は森や荒れ地をどんどん開墾します。結果、農地が増えたのは良いのですが……。


森林が減ったことで、ペストを媒介するネズミを食べてくれるオオカミが住みかを奪われました。ヒツジなどの放牧地に出てくるオオカミは、人の手で排除されます。オオカミが嫌われものであったことは、「赤ずきん」や「ペーターと狼」の話にも表れていますね。


天敵のオオカミが減ったことで、ネズミが爆発的に増え、14世紀半ばのペストの大流行につながったというわけです。「ハーメルンの笛吹き男」の話の発端は、ハーメルンで大量のネズミが発生したことでしたが、そのことを踏まえているわけです。


逆に、なぜモンゴル民族の支配地域ではペストが猛威をふるったという話を聞かないのか。ここから先は、私見です。推測でしかありません。それをご承知の上でお読みください。


モンゴル民族も遊牧民族なわけで、彼らにとってもヒツジなどを襲うオオカミは、やっかいな存在であったはずです。でもモンゴル民族にとっては、反面オオカミは畏怖の対象でもありました。だからこそチンギス=ハンは、別名「蒼き狼」と呼ばれたのです。また、当時から現在に至るまで、モンゴルの男性はオオカミのくるぶしの骨(確か左の後ろ脚のものだったと思いますが、どの脚だったかは不明)をお守りとして大事にします。つまり、ヨーロッパ人ほどオオカミを排除せず、そのためネズミの大量発生も防げたのではないでしょうか。


ちなみにチンギス=ハンの半生を描いた「蒼き狼 地果て海尽きるまで」という映画があります。



チンギス=ハン役の反町隆史をはじめ、主要キャストのすべてを日本人が演じるという、斬新な映画(^-^; もちろんモンゴルでロケが行われ、モンゴル人エキストラは最初、「日本人ごときが我らがチンギス=ハンを演じるなんて」と文句を言っていたそうですが、撮影が進むうちに反町隆史の演技に圧倒され、最後は「我らがハン!」という感じになっていたとか。


そうそう、モンゴルに行った時、こんな話を聞きました。オオカミのくるぶしの骨を持っている人は、そのことを秘密にしているけど、「どうやら、あいつが持っているらしい」という話が出ると、他の人は盗みに行く。そしてオオカミのくるぶしの骨の盗難については、窃盗罪にあたらない、と。うーん、本当かなぁ……。


はい、本題に戻ります。ペストの大流行については、森林破壊の結果のネズミの大量発生だけではなく、太陽活動の低下による小氷期の凶作が原因の栄養失調により、被害が拡大したとも言われています。要するに、免疫力も下がっていたのですね。



4.日本とペスト

ちなみに日本でペストが流行したのかというと、私が知る唯一の例は1331年の事例です。この年、京都で「悪疫」が流行りました。一説によると、ペストだったと言われています。元寇の前後を除き、日本と元の間の民間レベルの交易は盛んだったので、ペストが入ってきた可能性は否定できません。


京都に知恩寺(知恩院とは別)というお寺があり、寺号を百万遍と言いますが、この時の「悪疫」の流行と関連があります。後醍醐天皇の勅命を受け、当時の住持である空円が7日間で百万遍の念仏を唱えたところ、流行がおさまったため、百万遍の寺号を授かったそうです。



5.14世紀以前のペストの被害

なお1点疑問なのは、ペストは14世紀以前は雲南の外に広がっていなかったのかです。中国南部は古代からマリン・ルート(「海の道」、「海のシルクロード」とも呼ばれる)で東南アジア、インド、西アジア、エジプトとつながっていました。つまり人や物の交流は意外と盛んであり、14世紀以前にもペストが広がっていないのは、不自然だと思っていました。


そうしたら、一応紀元前541年の古代エジプトで、すでにペストの流行が見られたという説があるそうです。ただ、他の病気と混同されている可能性もあるので、断言はできません。


また東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では542年から750年にかけて、都のコンスタンティノープルを何度もペストが襲い、それが帝国の衰えの原因の1つになったという話も聞きました。2021年12月19日(日)の「東京新聞」の日曜版の特集「感染症と人類」には、以下のような記述がありました。

6世紀、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスが北アフリカ、イタリアなどを奪回、地中海交易が活発になったことで大流行となった。東ローマ帝国衰退の一因になったと考える見方もある。

同じ記事によれば、この時の死者は3000万~5000万人と推定されるそうです。

14世紀の被害ほどではなかったものの、やはり14世紀以前にもペストの流行はすでに見られたということでした。



5.ペストがもたらしたもの

多くの人が亡くなった半面、14世紀のペストの流行は意外なものをもたらします。大流行の結果、農民の数が激減しました。村ごと全滅、というケースもあったようです。その結果荘園の領主は生き残った農民を、それまでより大事にするようになりました。中世ヨーロッパにおける農民は農奴と呼ばれ、職業選択や移動の自由を持たない存在でしたが、そんな彼らの地位の向上につながったわけです。


今回の新型コロナウィルス騒動がもたらすのが混乱と分断だけではないことを、切に祈ります。


ちなみに見出し画像は、2008年にモンゴルで観た騎馬ショーのもの。現役のモンゴル軍の兵士が、チンギス=ハン時代の扮装をして参加しており、結構な迫力でした。



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