矛盾を生きる
自分を生きることは、「矛盾」との共存だ。
自分の中にあるかも分からない、あやふやな正解を選び取る必要はない。自分の中にあるいくつもの正解もどきの矛盾。矛盾しているかもしれないけれど、決して嘘じゃない今の自分も、過去の自分も、全て肯定して歩んでいくことが、生きることだ。
なんて、アラ還にもなって気づいたりする。昔の人は「40にして惑わず」と、40歳を不惑なんて呼ぶらしいが、何歳になっても惑うし迷う。間違いだって犯すし、そのどれもが、悲しいかな、、過去と離れられない自分だ。
そして最近では、過去の自分の存在感が否応なしにでかくなる。
でも、それってある意味、仕方がない。何故なら、アラ還ともなると、残された時間より過去の時間が長くなるし、それだけ、過去の時間や経験から受ける影響が大きくなる。
目を瞑ると、これまでに出会ったさまざまな人たちの顔や考え方、共にやらかした失敗やキラキラした成功が思い出される。すべてがわたしにとっての学びだ。
そして、誰一人として同じ人はいないので、どうしても彼らの考え方や感じ方には相違や矛盾がある。
個々の考え方や感じ方には一貫性があるが、それぞれの組み合わせによって相違も矛盾もある。
食べ合わせが悪いみたいに、相性が悪くて、腹を下しそうになる。でも、そんな相違とか矛盾を全部飲み込んで、時間を掛けて消化をすると、おもろいモノがスルリと出てくる。
どうしても食べ合わせが悪くて、下痢したり吐き出したりすることもあるけど、わたしの胃腸は存外丈夫だ。
こうやって、時間を掛けて自分とは異なる、他人の意見や感性を自分の中で消化、吸収をすることで、少しくらいの相違や矛盾で腹を下すこともなくなる。
若い頃には、すぐに腹を下してしまったり、アレルギーを起こしていたわたしも、今では「ほ~」と食わず嫌いせずに、舌鼓を打つ。
この前、新規陽性者となりホテル滞在をしていた人が、宿泊施設の状況をSNSに投稿したらしく(自治体から禁止されている)、それを見た、陽性者で病院にいた人が、「病院より個室で、風呂もあるホテルがえい」と、転院希望をしてやって来たそうだ。
それを知った年配看護師が、「信じられん」と、開口一番、SNSに投稿した者も、それを見て転院してきた者もおかしい認定するのを聞いたわたし。
「何が?」
思わず訊ねてしまった。その年配の看護師の考え方には一貫性があって、それから外れた考え方は「信じられん」に入るのだろう。
どうもわたしには、一貫性がある人の思考の幅は狭くて、そこを通り抜けられる考え方は少数に思えて仕方がない。
少数の考え方には矛盾の入る余地もなくて、彼女の考え方はスマート。でも、わたしからすると、おもろくない。
ならば、矛盾と共に生きる方がよりおもろい人生を送れそうなので、少しくらいブレても気にせずにおこう。
人生100年時代だ。死ぬ頃には、矛盾ですら個性、そんな人間になっているかも。