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事実のない世界とは

今年のノーベル平和賞には、ロシアの新聞『ノーヴァヤ・ガゼータ』の編集長である    ドミトリー・ムラトフさんとフィリピンの    メディア「ラペラ-」の創設者のマリア・    レサさんの2人が選ばれた。

彼女がインタビューの中で頻回に使っている言葉が「事実」だった。彼女は、実際に何が起こっているのか、事実を明らかにする為の戦いを続けてきた女性だった。

ところで、事実真実って、似ているようで違う意味を持つ。

真実事実も、うそ偽りのないことを指す。しかし、事実とは実際に起こったうそ偽りのない事柄のこと。でも、真実事実に対する偽りのない解釈のことだ。

事実は誰が見ても変わらないけれど、真実は人によって変わる。

米国前大統領のゴア氏も、『不都合な真実』という著書を出している。頂点に登りつめた人だから見える不都合な真実、その不都合な真実を不都合なまんまで放置するしかないのかな。

世の中には、本当の意味での真実なんかあるのかな。

わたしが人の話を聴くときに気を付けていることは、その人が語る真実は、その人にとっての真実なのか、はたまた、自分にとっての真実なのか、それとも、本当の真実なのか。そこを見極めるように聴く。

以前、「 99.9% 」とかいう、松本潤さんが  主演の刑事事件を扱うドラマにハマった。

松本潤さんは弁護士の役を熱演していたが、彼の口癖が「僕の知りたいのは事実です」。彼は真実ではなく、事実にこだわっていた。

それは、彼の父親が事実をねじ曲げられて、冤罪になっていたからだ。

実際には存在しない、絶対的なものとしての事実があるのに、そこに、人が関わることで事実がねじ曲げられる。

それは、人は間違いを犯すし、人は嘘をつくからだ。事実はひとつでも、そこに人が関与するとその事柄についての解釈がくっついてくる。

人の価値観なんて十人十色、同時におんなじ事実を見ても、彼らの口から出てくる真実は十人十色だ。

事実には人が関与しない。しかし、真実には人が関与する。だからこそ、事実には反論ができないが、真実には反論できる。

ドラマの中の松本潤さんは、だから、誰もが反論できない事実を見つけることにこだわり続けたんだろう。まあ、あくまでもドラマのお話だ。

・・・・・

では、事実がない世界とは、いったいどんな世界になるんだろう。

わたしが、もしも、事実がない世界の重任であったなら、何を拠り所にして生きていくんだろう。

ねじ曲げられた事実で作られた世界で、どうやって自分の正気を保つんだろう。

今、こうしてnoteを書いているわたしには、世界の事実が見えているのかな。

もしかしたら、自分が見たい現実を、それが真実と思い込ませていないかな。


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