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下萌え

「下萌え」という季語と出会いました。萌えなんて、可愛いと思いませんか。

わたしは暇を見つけては、庭の草を引いていますが、枯れた紅葉の葉をめくると、その下にはたくさんの小さな草が生えています。

まさに下萌え状態でして、季節は冬なのに、わたしが気づかないだけで、自然はちゃんと春になる準備をしています。

そこで、「下萌え」3連発です。


下萌えや添い寝の猫の青臭さ

(したもえや そいねのねこの あおくささ)

添い寝してくるネコからホトケノザの微かな匂いがしてきます。土足で外を駆け回る猫、ホトケノザを踏んづけてきたのかしら。

最初の句は、「下萌えや添い寝の猫のホトケノザ」でしたが、「ホトケノザ」も季語で、見事な季重なりのため却下です。

「青草」は季語でないようです。ふ~


下萌えや引かれぬように石ずらし

(したもえや ひかれぬよふに いしずらし)

最初、「下萌やそつと枯れ葉をかけなおす」としていました。

パンチのない一句ですが、草引きをしているときに、枯れ葉の下に菫(すみれ)などが発芽しているのを見つけると、布団をかけ直すように、「あらあら」と枯れ葉をかけ直しています、、みたいな。

パンチないですが、わたしの優しさの一面を詠んだ句としましたが、「枯れ葉」も季語でした。そこで、上の句に変えました。

我が家には、野に咲く菫がたくさんあって、もはや自生しています。秋から冬でも、せこせこと種を作っては弾き飛ばして、菫だらけです。

増え続ける菫の花、山野草と雑草のあいだを行ったり来たりしています。


下萌えや父の墓でも詣でよか

(したもえや ちちのはかでも もうでよか)

ちょっとふざけた句となりました。

下萌えの寒い時期には、そろそろ父の墓でも詣でなくてはね、と思ったりします。

一月に亡くなった父ですし、庭に草が生えてきたのなら、お墓にも同様に草が生えてきているかもしれません。

お墓の前では泣かないわたしですが、いづれわたしも世話になる場所ですし、お馴染みの場所にしておいたら、逝くのが楽しみになるやもしれません。


写真の母朧ろになるを見つつあり

(しゃしんのはは うつろになるを みつつあり)

季語は「朧ろ」です。

写真の母、もう30年ほど前に撮られた写真ですし、すっかり色褪せてきています。

母の写真も母の記憶も、色褪せてきました、という時間の経過を表現した句です。

というか、表現したつもりです(笑)。どうしても文語の文法が支離滅裂で、合っているかどうかも分かりません。

こちらの句も突っ込みが入りました。でも、しばらく寝かさて熟考です。


一月に生まれ逝く一月の父

(いちがつに うまれいく いちがつのちち)

一月一日に生まれた父は、同じ一月の七日に亡くなりました。もう少し早く亡くなっていたら、坂本龍馬と同じになっていましたが、ちょうど正月明けでしたので、色んなことがスムーズに片付いて助かりました。

一月生まれの父が一月に亡くなった、というただそれだけを詠んでみたくて詠みました。

ただ、ここで俳句の先輩より突っ込みが入りました。一句に一月を二回の是非です。

そこで熟考。

この句は、一月を二回書くことに拘ってみた句です。

一月、それも一日に生まれた父が、ほかでもない一月に逝く。「一月」がなんとも無垢というか、穢れがない感じがしました。

単にそれだけの句なのです。そこで、ファイナルアンサーです。

一月に生まれ一月に逝った父

(いちがつに うまれいちがつに いったちち)


ところで、クリスマスが目の前です。今年はひとりで楽しむクリスマスケーキが充実しているらしいです。

今日と明日、クリスマス直前の滑り込みダイエットして、クリスマス・イブにはケーキを食べることにしようかな。