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自分の感覚とは違う存在

自分の感覚とは違う存在といる。その存在は人間でなくてもよくて、猫でも犬でもいい。苦手な同僚でもいい。

自分の感覚とは違う存在がいると、イヤでもその存在に意識を向けないといけない。

その存在に気づくことは、対極にある自分の存在に気づくことかもしれない。

一緒にいても疲れない、空気みたいな存在の伴侶や恋人、友人がいることが幸せと思う、そんな人もいるだろう。

でも、あまりにも自分の感覚と近しい存在、自分と同じ側の世界に住んでいる存在だと、わたしはわたしを見失いそう。

他人と違う、そんな感覚を持つことで自分の存在を感じられるわたし。

わたしには子どもがいない。

子どもがいる同僚女性たちは、わたしがいる前で子どもの話をすることで、子どものいる自分たちは同じ側の人間、仲間意識を持って安心しているように見える。

職場で不協和音が流れても、子どもがいないわたしがいる中で、子どもの話をする。そうすることで、自分はひとりではない。自分は孤立なんかしていない。

"自分は受け入れられている。大丈夫!"

そんな感覚を持って、孤立しない自分に安堵しているように見える。

変わり者のわたしは、人間よりも動物や自然たちと同じ側、同じ世界に生きている感覚が強いのかもしれない。

動物や自然と共にいて、触れ合っていると、たとえ人間の世界に受け入れられなくても、自分は動物や自然に受け入れられている。

自分は動物や自然と共にいる、その感覚さえあれば、孤独は苦にならない。

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40代の頃、スキューバダイビングにハマったことがある。

ライセンスを取って、週末になると車を飛ばして柏島へ向かった。大勢で潜るのはイヤなわたしは、プロダイバーとボートをレンタルして、いつもふたりで潜った。

彼が見守ってくれる海の中、魚に混ざって、潮のうねりに逆らわずに泳ぐ。自分の呼吸が泡になって海に溶けていく。

自分は自然と一体になっている。

あの感覚をいつも思い出せたら、たとえ孤立しようが、孤独になろうが、自然と共にある感覚さえあれば、わたしは生きられる。


イラストは、piyosamaさんのものです。