炬燵と花鶏
先日も炬燵猫の句を詠みましたが、またもや過去の記憶が甦ってきました。こどもの頃、冬の朝は服が冷たくて、着替えが嫌でたまりませんでした。
そのため、朝イチでやることは炬燵のなかに着替えを突っ込んでおいて、ぬくぬく温めることでした。
今では、多くの家にエアコンとかがあって、部屋自体がぬくぬくでしょう。でも昔の家はだだっ広くて、寒かった。
我が家には炬燵と火鉢がありました。でも、火鉢は家長である祖父がひとり占め。両親や子どもであったわたしと弟は、今では滅多にお目にかからない「しもやけ」の常習者で、オロナイン軟膏が欠かせませんでした。
寒い日を乗りきる、苦肉の策が炬燵で洋服を温めることでした。朝御飯の支度ができて、家族が炬燵に足をいれる頃には、いい具合に温もっていました。
でもたまに、炬燵の電源を入れ忘れていて、着替えようと思ったら「冷たい!」、なんてこともありました。
炬燵猫セーラー服もぬくぬくと
春炬燵猫と肌着と制服と
制服や炬燵で出番待ちにけり
季語は「炬燵」「炬燵猫」「春炬燵」です。同じ光景ですが、どれがいいだろう、と思案したものです。
炬燵に突っ込んだセーラー服、スカート襞をきれいに見せるために、蒲団でアイロンした懐かしい日々。今の子達にはピンとこないでしょうね。
アイロンかけをするとスカートがテカテカと光るので、寝る前にスカート裾をしつけ糸でまつって、新聞に挟んで、そっと蒲団の下に敷き込んで寝ました。
美しくあるための地味な努力は、今も昔も、変わらないのでしょうね。
次の句は、先日、耳にした「アトリ」という渡り鳥を詠んだものです。
冬ざれや枯れ木に紅の花鶏かな
季語は「冬ざれ」ですが、もしかして、枯れ木の枯れが冬かしら、またまた季重なりかとドキドキです(苦笑)。
花鶏(アトリ)は冬の渡り鳥ですが、テレビでその鳥の名前を知りました。鮮やかな羽色の花鶏が枯れ木に止まると、まるで秋の紅葉のようだと思い、一句詠んでみました。
若い頃には、周囲に引っ張られて野鳥の会のメンバーでした。でも、当時は、首に重たい双眼鏡をぶら下げて、ただ鳥を追いかけて、公園や山道を歩く。出会った鳥の名前を披露しあう、その愉しさが分かりませんでした。
ただ、寒い時期に「鷹柱」でしたか、仲間と連絡し合いながら追い求めたことは、覚えています。
天高く舞い登る鷹たちの群れを飽きもせずに眺めました。ただ、ポカンと開けた口と反り返った首と腰が痛くて、二年でやめました。
さて、本日の俳句のできはどうでしょう~