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凍解

今日の五七五は、あまり明るい句ではありませんが、軽い気持ちで読んでください。

面白いもので、もやもやと消化しきれてない感情が五七五になると、一つ気持ちが消化  (昇華、浄化)する気がします。

ただ、人間の煩悩は108といいますが、既に108の句は詠んでいる筈です。ということはわたしの煩悩の数は、無限大∞かも。


凍解や固き左脳で母想ふ

(いてどけや かたきさのうで ははおもう)

季語は「凍解」です。

どうも理屈っぽいわたしは、屁理屈で物事を考える癖があります。特に身近な存在である家族への眼差しは厳しいものでした。

人間の脳は、成長するにつれて段々と言語を司る、論理的な左脳が活発に働くようになるらしく、左脳優位になっていきます。

これが、所謂「頭が固い」という状態です。老化の一種でしょう。

凍解(いてどけ)は、凍っていた大地が解けることをいいます。以前と比べると随分、母に対する認知も変わりましたが、もっとユルい頭で母のことを考えてみたいもんです。

昨年末より俳句をしたり、最近は、懲りずに絵を描いたりして右脳が鍛えられているかもしれません。もっともっとユルみますかね。


暮れ早し母の救急車のランプ

(くれはやし ははのきゅうきゅうしゃのらんぷ)

季語は「暮れ早し」です。

秋になると夕暮れが早いものです。あの頃は父と散歩をするのが日課でした。あの日は、いつもの散歩コースより一回り短いコースを父と歩いて帰りました。

帰ると、母が頭を抱えて痛がっていました。血圧を測りながら救急要請、くも膜下出血の疑いを伝えました。

すでにあたりは暗くなっており、母を載せた救急車のランプを頼りに、後を追いました。

母の救急車のランプのみでは、母が救急隊として運転しているようにも聞こえます。さて是非はいかに(笑)。


手鞠花病の妻の浴衣干す

(てまりばな やまいのつまの ゆかたほす)

季語は「手鞠花」です。これは「紫陽花」の関連季語です。

母が入院していた時、わたしはまだ看護師として三交代勤務をしており、手術室勤務でもあったので、母の世話は父がメインでした。

祖母と父の世話をして、休みの日には病院に父と行って、洗濯物を取ってきました。

母が倒れるまで洗濯機も使えなかった父に、洗濯機と炊飯器の使い方を伝授しました。

紫陽花が咲く頃も、父が洗濯機をまわして、せっせと母の浴衣を干していました。


脳壊れ笑わぬ母にも花の雨

(のうこわれ わらわぬははにも はなのあめ)

季語は「花の雨」です。これは、「春雨」の関連季語のです。

桜の頃に降る雨を花の雨といいますが、秋の暮れ頃に倒れ、何度も脳の手術をした母は、桜の頃には廃人みたいになっていました。

窓際のベッドを希望しましたが、どうせ桜を愛でることもないと、段々とベッドの位置も窓から遠ざかっていきました。


行く秋や老いたる姉を看取る朝

(ゆくあきや おいたるあねを みとるあさ)

季語は「行く秋」です。

母が亡くなったと連絡が来たのは、出勤中のことでした。着信の点滅ランプが光っていました。

病院の名前が表示されていたので、何の連絡なのか、すぐに分かりました。急いで路肩に車を停めてコールバック。

事務的な連絡を受け、わたしも事務的に看護師長に連絡を入れました。母の妹ふたりにも連絡をしました。

8年近くも入院していた間に、母も、彼女の妹である伯母たちも老いていました。

老いた姉を看取る、老いた妹ふたりを見ていると、切ないものがありました。


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ちょっとしみったれた五七五が多かったし、景気づけによさこいの踊り子です。

写真の踊り子を見ながら描くのに、何故か、出来上がると子供の落書きみたいな顔です。昨日の猿だんごの猿の方が、人間っぽい顔をしていました。