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胸に「ズン!」と刺さった

ノーベル物理学賞を授賞した真鍋淑郎さんの発した言葉が、彼の功績以上に心に刺さってしまった。

久しぶりに胸に「ズン!」だ。

失礼だが、彼の言葉は皮肉にも聞こえるが、ここで耳を塞いだりせず、真摯に彼の言葉に耳を傾けないと、日本は違う意味で沈没するだろう。

折しも、テレビドラマで日本沈没が扱われることになってるし、新しい岸田政権も船出をしたところだ。安心して乗っていられるか、自分たちに出来ることはないのか、今一度、真剣に未来について考えるチャンスを与えてくれた気がする。

彼のスピーチがあちこちに掲載されている。そこから、気になる部分を抜粋した。

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アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。

実を言うと、他人を傷つけたくありません。しかし、同時に、他人を観察したくもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。

( 中略 )  やりたいことを何でもできました。  それが日本に帰りたくない一つの理由です。なぜなら、私は他の人と調和的に生活する      ことができないからです。

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「同調圧力」は嫌だ、と非難するのは簡単。でも、そんな圧力に立ち向かい、自分らしく生きることを選択するのは容易ではない。

わたしもそうだが、大抵の人は、非難止まりだろう。グチグチと愚痴りはするが、自分が思うままに行動できない、思うままに生きられないのは、他人のせい。

愚痴の沼にハマって抜け出さない。

ところが、真鍋さんは愚痴る暇さえ惜しい、そんな時間があればやりたいことをやると、思ったかどうかは知らないが、生き方が実に潔い。

いくらなんでも、「他の人と調和的に生活ができない」なんて日本で口にしたら、就活は絶望的だろう。

他の人が自分のことをどうみてるか?そんなことばかり気にする日本人が多いが、どうも日本人は自意識過剰になっていたのかもしれないな。

自分が思うより、誰もあたしを見ていない。(肝に命じておこう)

また、彼は、他の人を観察したくもないし、他の人が何を考えているか解明したくもないと言っている。

これは、他の人の存在を無視したり、無関心という訳ではなくて、大人としての距離感が分かっている、本物の大人な気がした。

大人の距離感、Adult sense of distanceとでも訳すのだろうか。

わたしは、ついつい、綺麗事を並べてしまう癖があるけれど、そんな綺麗事を並べる暇があれば、ワクワクすることをやろう。

もっと自分の好奇心に正直に生きよう。

ただ、残念なのは真鍋淑郎さんがアメリカの国籍であり、日本人でないこと。普段は気にしないことだが、海外の国籍を選択すると、自動的に日本国籍が剥奪されてしまう制度はどうにかならないもんか。