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なぜ「日本語の先生」の先生になったのか?

今日はなぜ「日本語の先生」の先生になったのかについて話をします。ちょっと順番が前後しますがご容赦ください。

まず、私自身、日本語教育を学び始めて10年目、現場に関わって6年目の終わりです。ですから、知識や場数は足りていないのは自他共に認めるところがあります。それでも、これにチャレンジした一番大きな理由はいくつかの<やるせなくなる出来事>があったからです。

CASE1 東南アジア出身の学習者だから…
 私がある研究会で東南アジア出身の学習者を対象とした自分の実践ついて発表をしていた時でした。比較的に名の知れた外国人の支援者の方が、遠巻きに見ているのに気づきました。そして、その人が隣にいた方に、ぼそっと、<東南アジアの子にあんな難しいことやったって分かるわけないんだから、やっちゃいけないことになってるんだよ>と言いました。
CASE2 やっぱり国語の教科書が…
 ある小学校で、以前私が担当していた子は最近どうですか?と尋ねると、<子ども用の日本語の教材を使ったことあるんだけど上手くいかなくて、結局小学校1年生の教科書からやるのがいいのよね~>と言われました。来日半年位の高学年の子に、1年生の詩や物語を音読させて、1つ1つ言葉の意味を説明していました。

どこにやるせなさを感じるのかというと、

・無自覚な差別?(case 1)

 思い込みで他の教師や学習者を貶めたり、出身地などの違いで教師が期待するレベルを変えることにためらいがないことにとても驚きました。

・コースデザインやカリキュラムデザイン能力の不足?(case 2)
・第二言語習得や言語教育の方法論に関する知識の不足?(case 2)

 学習者のニーズや習得状況を把握できず、教材を適切に扱うことが出来ないようにみえます。また、学習者が直面している、学校生活に適応するという課題を解決できているとは言えない状況でした(そして、前述の子は、中学校進学後が困難な状況にあるということを別の機会に知ることになります。)

さらに、こういった方々は支援者(つまりボランティア)だったり、教師だったり立場は色々あっても、日本語教師養成講座等で学ばれた相応の知識をお持ちで、現場で長く経験を積まれた方だったりするのです。この現状を私はとても危惧しました。つまり、学んだ知識と実践のどこかに乖離があって、学習者がその犠牲になっている可能性があるのです。逆に言えば、学んだ知識を適切に活用できれば、このような出来事は起きないはずです。

こういうことがあって、私は大学院で、東南アジア出身の学習者であろうと、学習者がいかに成長を遂げるかをデータで示すことを決意し修士論文を書き上げました。そして、養成講座には、どんな人達が、どういう目的で、時間的・経済的・体力的なリソースをはたいて通うことにしたのか知りたいと思うようになりました。そして、今は、一人でも多くの学習者がよりより学びにアクセスできること、そして、この考えが共有できる日本語教師の方が増えるように尽力したいと思っています。

このようなきっかけで日本語教師養成講座での仕事を始めることにしたわけですが、なぜnoteを始めることにしたのかついて次回詳しくお話ししたいと思います。