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ポッ〇ーの日を祝う謎の集団

2023年始まっちゃいましたね。

イベントどうする?

なんとなくですが、日本以外の文化の人と接することが多いと、イベントごとに細かい人だと思われることがあります。実際、日本語教室や日本語学校などでも、年中行事は結構やっているのではないかなと思います。自分の知らない文化について知ることもできて、日本以外の文化にも慣れ親しめるいい機会だと思います。しかしながら、私の日本語教室では、日本のイベントも含めて、原則として一切扱わないようにしています。

イベントはやらない、その理由

日本語を教え始めた頃、フィリピンの学習者から、「どうして先生はクリスマスを祝わないの?」と言われました。私は、「キリスト教を信じていないからだよ。」と答えました。また、ある時は、ムスリムの学習者に「なんだよ、冬休みだからって、クリスマス、クリスマスって!ねぇ、先生!」と言われました。その時に、2つのことを考えました。

自分が本当は関係のないイベントを祝っていいのかな?

私が教えている学習者、特にフィリピン勢はすごいのです。120日前からカウントダウンを初め、23日に学期が終わると知るやいなや早く国へ帰りたい、学校を休むと大騒ぎし、年が明けたら来年のフライトを予約するような人たちばかりでした。それから、星のないツリーはおかしい!と言われたこともあります。宗教的にとても重要な意味があるそうですね。そのくらい、宗教的な意味と家族の絆を大切にする文化を見た時に、やはり中途半端なことをするのは、敬意に欠けているような気がしました。

宗教が関わる行事、みんなが参加できる?

例えば、旧正月を、ラマダンが明けた日を、ダサインを、日本の学校でお祝いしたらどうでしょうか。単にクリスマスは日本人にとってなじみがあり、お正月は節目になる日ですが、それ以外の文化圏の人にとってはそれほど大事な日ではありません。むしろ、自分に関係のないイベントに半ば強制的に参加させるようなことがあってはいけません。そういう意味で、自分にとっての馴染み深さを相対化していくプロセスを、日本語教師になってすぐのころに経験したことを今でもよく覚えています。

自分と相手の視点を併せ持つことも時には必要

他の文化から来た人と関わっていると、年中行事に限らず、オリンピックやW杯など国際的なイベントと絡めて何かやりたくなる気はします。でも、学習者が増えているベトナムやネパールからこれらの大会に出場する人々は、ごく限られており、興味関心も知識もないこともあります。その背景には、一概には言えないものの、経済的な格差などが隠されていたりもします。
そういうわけで、年中行事に関するイベントなどは私の教室では扱わないようにしています。
でも、なにかやりたいな、と考えた結果、勤務先の日本語クラスでは毎年11月11日のポッキーの日を祝うことにしました…どうしてそうなった、私(授業とか補習の後に配っている)。