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第24話:ある将棋指しの一生 〜嬉野流〜

 嬉野流うれしのりゅう? 何言っているんだ? と思われた方が多いと思います。 今日は将棋のマイナー戦法「嬉野流」の熱くて悲しい物語を紹介していこうと思います。

 嬉野流は将棋の戦法の一つでして、アマ強豪の嬉野宏明氏が開発し、 元奨励会三段の天野貴元氏が独自の研究を加えて棋書にしたことで将棋ファンの間で広く知られるようになった戦法です。

嬉野流(wikipediaより引用)

 嬉野流は、初手6八銀からムリヤリ力戦に持ち込むことが最大の狙いで、一般的には奇襲戦法に分類されることが多い戦法になります。しかしながらこの嬉野流、奇襲を防がれても互角に戦える点が最大のメリットでして、そこが鬼殺し等の従来の奇襲戦法とは一線を画す戦法になっているのです。 って、将棋に興味がない人は何を言っているかわからないですよね? 大丈夫、大丈夫。将棋の話はここまでです。この話の本筋は、この嬉野流を日本中に普及させ、若くして天に召された「天野貴元氏」のお話なのですから‥‥。

 将棋のプロは棋士とよばれますが、棋士になるためには、 棋士の弟子になり師匠に認められて初めて研修会(約310 名)の入会試験を受け、研修会である程度勝ち抜き、奨励会というリーグ戦(約200名、六級スタート)の入会試験を受け、 奨励会を三段リーグまで勝ち抜き(三段リーグは全部で26 名、上位2 名のみ昇段(半年に1 回))、26 歳までに四段にならなければなりません。ほんと狭き門で、年齢との勝負になるのが将棋の世界なのですが、この年齢制限こそが、多くの棋士を夢見る人々の夢を断ってきました。そして天野氏も夢を断たれた将棋指しの一人だったのです。

 天野氏は1996年に奨励会に入会、16歳で三段に昇段しますが「地獄の三段リーグ」を突破する事はかなわず、 年齢制限の26歳までに四段に上がれず2012年に奨励会を退会します。そしてそんな失意の天野氏に、天はさらなる試練を与えたのです。

 それは病でした。天野氏は27歳の時に「舌がん」と宣告され、10時間に及ぶ大手術で舌の大部分を失わなければなりませんでした。しかもそれだけではなく、その後も放射線治療が続く地獄の毎日を生きなければならなかったのです。しかしこんな地獄の中でも、天野氏の将棋に対する情熱は一切衰えることはありませんでした。

 なぜなら2014 年5 月に行われた第36 回全国アマチュア将棋レーティング選手権で優勝すると、再び棋士を目指して歩き始めたのです。そしてその後、2014年11 月しんぶん赤旗全国囲碁・将棋大会(赤旗名人戦)で優勝し、再びプロを目指せる、棋士を目指せる奨励会三段リーグ編入試験の受験資格を得たのです。そうこの時代、アマチュアからの奨励会三段リーグに編入できる制度が整備されており、もし合格すれば4年間に限りプロになる、棋士になるチャンスが与えられていたのです。

 そして2015年2月、天野氏は棋士になる夢をかなえるため編入試験に挑戦します。しかし結果は力及ばず、6勝の合格ラインに対し4勝しかできずに夢は再び破れてしまったのです。

 ところが天野氏の将棋に対する情熱は一切衰えることはありませんでした。その後天野氏は、研究に研究を重ねた「嬉野流」をひっさげて、2015年6月にアマ竜王戦東京大会を優勝し、東京都代表としてアマ竜王戦に参戦するなど、その後も全国の将棋大会に参加し、その名を轟かせていったのです。

 しかし運命は、彼の努力に報いることはしませんでした。なぜなら2015年10 月27日午前0時02 分、多臓器不全により、天野氏の将棋への愛は永遠に失われてしまったのですから‥‥。享年30 歳、早すぎる最後でした。

 しかし天野氏の残したものは脈々と受け継がれていきました。 第26 回将棋ペンクラブ大賞文芸部門大賞を受賞した、自らの奨励会時代を綴った自伝的小説「オール・イン」は今でも愛読されていますし、彼の遺志を受け継いだ「天野チルドレン」は、2016年以降も天野氏の名前を掲げて社団戦への出場を続けています。 また頻度は少ないものの、今でも天野杯が開催されているほどです。

 それでは最後に、夭折した天野氏の末期の言葉を紹介して、このお話は終わりにしようと思います。

 天野氏は死の間際、両親の手を握り、両親と共に幼い頃の思い出や「海外で将棋を普及したい」というこれからの夢を語っていたそうです。そして、しばらくして閉じた目を開き「生んでくれてありがとう。30まで生きて良かったよ」と言い残して亡くなったそうです。

 私はこの言葉に込められたものが何だったかを想像すると、いつも胸の中に熱い何かが溢れてくることを実感します。1つのことに自分のすべてを捧げる人生。その尊さを思い知る日々なのでした。

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