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第44話:アドルフ・ヒトラーとエゴン・シーレ

 1906 年、ウィーン美術アカデミーは、「とある学生」の入学を許可します その学生の代表作は下の絵です。この絵、誰の絵か知っていますか?

死と乙女(wikipediaより引用)

 クリムト?と思った人はおしい、エゴン・シーレの代表作「死と乙女」です。そして1907 年、ウィーン美術アカデミーは、「とある学生」の入学を拒否します。 その学生の代表作は下の絵です。この絵、誰の絵か知っていますか?

ウィーン国立歌劇場(1912年)(wikipediaより引用)

 実は、この絵の作者はアドルフ・ヒトラーです。

 ここでは政治家としてのヒトラーについて言及をするのはやめましょう。 ただ誤解を恐れずにいうのならば、「私なりに」ヒトラーについて「歴史的検証」をしましたが、 世間一般のように盲目的に「ヒトラー」を評価するのは不当であると私は思っています。ただ、まぁ、ひねくれものの個人的な感想かもしれませんが、、、

 さて今日は絵画のお話です。画家でもあったアドルフ・ヒトラーは、ふたつの手段でドイツ芸術を支配します。 ひとつはエゴン・シーレ、ピカソ、ゴッホ、ゴーギャン、シャガール、クレーらの傑作に「退廃芸術」の烙印を押しそれらを貶め、 一方で、純粋なアーリア人による写実的で古典主義的な作品を擁護します。ちなみにこれは、先ほどお見せしたヒトラーが描いた書いた絵のジャンルです。

 またヒトラーは、故郷リンツに「総統美術館」の設立を志し、 右腕的存在のゲーリング国家元帥と張り合うかのうように、ユダヤ人富裕層や、 かのルーブル美術館からも問答無用で「憧れの名品」や「価値ある美術品」の略奪を繰り返していきます。

 そして1937 年7 月18 日ミュンヘンにドイツ芸術の家を開館、そこで開催されたのが「大ドイツ芸術展」です。 これは、ヒトラー自らが企画したナチスのお墨付き展覧会でした。 展示されたのはもちろん、純粋なアーリア人による写実的で古典主義的な芸術作品で、好まれたテーマは「農村の生活や田舎の風景、そして家族と母性」。 裸体画をふくむ人物画の展示も多く、女性の裸婦像は「母親を刺激し、健康で美しい金髪の子どもたちをたくさん産んで、総督に捧げよ。」とのメッセージが込められていました。

 そしてその翌日に開かれたのが「退廃芸術展」。 「大ドイツ芸術展」が開かれたドイツ芸術の家から「わずか数百メートル離れた会場」で開催され、 ドイツ国内の美術館32 か所からエゴン・シーレ、ピカソ、ゴッホ、ゴーギャン、シャガール、クレーらの絵画を、ナチスの美の概念にそぐわないとみなし、 各国の美術館から没収した美術品「650 点」を「退廃芸術」と烙印を押し、さらし者として配置も水平も無視した状態で展示したといいます。

 このような感じで、ヒトラーは「アーリア人」にそぐわない「退廃芸術」を貶めていったのですが、 そんなヒトラーが絵画の持つ魅力にあがなえず、手放すごとができなかった絵があります。

 そうオランダ人画家、「フェルメール」の「真珠の耳飾りの少女」です。 いくら口で悪態をついても、「本物」の美しさの前では「誰も」心を偽れないという事実を思い知らされるお話だと思いませんか?

真珠の耳飾りの少女(wikipediaより引用)

 尚、蛇足ですが、「真珠の耳飾りの少女」は「私が最も好きな絵」の1つで、レプリカをわざわざ30 万でマウリッツハイス美術館より買っています(笑)

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