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松潤とプリクラが撮りたい人生だった

最近の若い子はプリクラのサイズが横長一択だった時代を知っているだろうか?
そもそもプリクラを撮る文化は今も健在か?シールをもらったところで、それを貼ったりするのか?もはや現物のお渡しはないのではないか?データしかもらえないのでは?Z世代への疑問が止まらない。

とにかくプリクラが初登場した当初、シートは横長のハガキサイズで、それを16分割ぐらいで均等に同じサイズ、同じショットのシールがズラッと並んでいた。

今みたいに自分で文字を書いたりデコったりするような機能はなく、デフォルトで用意されたフレームを選択して撮るだけ。美肌加工もない。
シールはガラケーの裏に貼ったりすることが多かった。ちなみに京極真さんみたいに絆創膏の裏に貼ってる人は昔からいない。
映りよりも思い出のために撮るという感じだっただろうか。可愛く撮ることの意味合いが大きくなっていったのは、デコレーション可能なタイプのプリクラからだと認識している。

さて、ジャニーズショップというのはかれこれウン十年前からあって、昔は地下にプリクラコーナーがあったと記憶している。今もあるのかどうかは知らない。
『8時だJ』が流行っていた頃、当時小学生だった私は松潤のファンだった。ジャニーズショップなるものがあると知った時は猛烈に行ってみたいと思い、母に頼み込んで連れて行ってもらえることに。

初めての原宿

初めての原宿は、竹下通りの雰囲気や人の多さにカルチャーショックのような感覚さえ覚えた。安くてかわいくてコテコテしたものがたくさん売っている。ここは日本なのか?!いや、原宿こそが日本のホットスポットなのか。ついでに、いつもカタログで見ていたサン宝石の店舗にも行けたのが嬉しかったのを覚えている。サン宝石は小学生から絶大な人気があった。

ジャニーズショップは原宿の大通りではなく、少し小道の中に入った所にあった。場所が分からなくてなかなか辿り着けず、母が途中で知らない人に道を尋ねた。
すみません!ジャニーズショップってどこですかぁ?!
母は昔から平気で知らない人に話しかける。海外旅行に行っても言葉が通じない外国人と談笑するほどコミュ力が高い。

いざジャニーズショップに到着!しかし…

お店には色んなグループの生写真がズラリとたくさん売っていた。…それ以外はあまり覚えてない。いかんせんもう20年近く前なのだ。
先述の通り、地下にプリクラコーナーがあった。置いてある機械はすべて同じ。自分が好きなアーティストとプリクラが撮れるのだ。

松潤とプリクラが撮れるだと…?

母が小銭をくれて、撮ってみることにした。とてもワクワクして感動したのを覚えている。選択画面で、松潤をいざ選択!!!

ポチッ!

しかし、次の画面で映ったのは知らない男と自分の姿だった。どうやら全然違う人を選んでしまったらしい。

「この人誰…?」

母に聞いたら、ベテランの人だった。
当時のプリクラは選択を間違えた時に「戻る」ボタンがあった気がするのだけど、とにかくジャニーズショップのプリクラはそれが無かった。
半泣きで母に「もう一回撮らせてーー」と言ったが謎の教育方針により実現せず、私は薄ら笑いで知らない男性とツーショットのプリクラを撮影した。

自分の記憶が正しければ、あれがジャニーズショップへ行った最初で最後の経験。だから未だにジャニーズショップと聞けば「あのプリクラがある所ね!」だし、松潤を見れば未だに時々「プリクラ…」と思っている。
20年も鮮明に覚えているなんて、小学生の自分にとってよほどインパクトが強い出来事だったのだろう。このままだと来世に生まれ変わった時に産声をあげる前にこう言ってしまいそうである。

松潤とプリクラが撮りたい人生だった〜

生まれてきた赤ちゃんの第一声がこれだったら嫌すぎる。



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