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本を探して、本屋は集う。下北沢「BOOKSHOP TRAVELEER」

筆者は2021年7月中旬に、マスク着用・手指の消毒・人との間隔を広げる等の感染対策を十分に施した上で、掲題の店舗を訪ねました。
ご来店の際には新型コロナウイルスの流行状況を確認の上、感染対策に十分配慮してお越しになるようお願いいたします。


新宿から電車で10分、渋谷から5分。
小田急線と井の頭線の交差点にある下北沢の街は、いつ来ても若者で溢れかえっている。

戦後の闇市から発展した商業地帯には個性的な商店が次々に生まれ、近くに大学が多く交通の便も良かったことから、感度の高い学生や若者がこぞって集まった。今や「シモキタ」は世界にも類を見ない一大カルチャー・タウンへと成長し、国内のみならず海外からも多くの人々を惹きつけている。

下北沢の道路は狭い。関東大震災後の1927年から都市開発が始まり、太平洋戦争でも空襲をまぬがれたことから、この辺りには戦前からの道路が今も数多く残っている。
その結果、下北沢には自動車が入れない細い路地がいくつもあり、その路地に商店が密集することでこの街独特の空気感を形成している。


BOOKSHOP TRAVELLERが店を構えるのも、そんな下北沢の路地の一角だ。
小田急線の改札口を出て、ピーコックストアやカルディを通り過ぎていくと、突き当たりで古着屋が多い通りに出てくる。T字路を左に曲がると、これまた古着屋が入居する古いビルの脇に、小さな黒い立て看板が見えてくる。

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「本を食べて、旅に出よう」


そんなキャッチコピーが書かれた看板から顔を上げると、目線の先には店へと続く階段が伸びていた。

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マジか。こんなところに本屋があるのか。
慌ててスマホを開き、マップを確認する。確かにここで間違いない。
カラフルな柄のTシャツと壁面のグラフィティに挟まれながら、僕は不安とワクワクをない混ぜにして階段を上る。

店内に入ると、これまた細い廊下。
途中で折れ曲がり、奥へと続いているようだ。


不安がだんだんと大きくなってきた。
その感覚は例えるなら、常連客でいっぱいのバーに初めて足を運ぶ時の感覚と似ていた。自分だけがその場所の空気に馴染めない、場違いなところへ来てしまったという後悔と恥ずかしさが、胸のうちを占拠する。

だが、僕はこれまでの経験から知っていた。
こういう感情が湧きおこる場所にこそ、あえて踏み込んでいくべきなのだ。
それこそが、日常のコンフォートゾーンを飛び越えて、新しい世界の扉を開く秘訣だ。


意を決して歩みを進めると、入り口から続いていた廊下は店内を貫くように伸びていた。
その両脇にいくつかの小部屋が等間隔で並び、奥には小さなレジカウンターがぽつんと設けられている。店内は7部屋に分かれ、手前の3部屋はギャラリースペースとして主にブックフェアやイベント展示のために貸し出されており、奥の4部屋は書店スペースとして営業されている。
美術館の常設展と特別展、といえばわかりやすいだろうか。

一番手前の小部屋の真ん中には大きなテーブルがひとつ置かれ、四方を囲むような形で本が隙間なく並べられている。書架は一見混沌としているがよく見ると明確に秩序立てられており、これを作った人の本に対する真摯さが感じ取れる。

なるほど、この小部屋の一つ一つが書店ブースになっているのか。
ようやくこの店のコンセプトがわかってきた。

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BOOKSHOP TRAVELLERは「本屋のセレクトショップ」をコンセプトに、全国各地のインディペンデントな書店を紹介・宣伝することを目的として2018年に開店した。

店主の和氣正幸(わき まさゆき)さんはもともとライターとして活動されていた方で、大学卒業後に会社員として働く傍ら、自身のブログで日本各地の書店を紹介する活動を行っていた。2015年に独立し、現在も店舗経営やポータルサイト「BOOKSHOP LOVER」の運営を中心に、本と本屋に関する活動を幅広く精力的に行っている。


僕が店を訪れた時はちょうどギャラリースペースでの展示準備をしていたようで、背の高いアーティスト風の若い男性が、オーバーサイズのTシャツにステテコ姿の黒縁眼鏡をかけた男性と話をしていた。
おそらく眼鏡の男性が和氣さんだろう。直前に見たネット記事の写真と、風貌が一致していた。

仕事の邪魔になってはいけないと思い、再び意識を本棚の方へと向けた。


ひとりのクライアント(あえてこう表現する)につき、ワンブロックの書架スペースが与えられているようだ。本棚はそれぞれ明確なテーマがあり、旅行書を中心に取り扱う書店や海外コミック専門の書店など、そのどれもが個性的だ。

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ひとつの書店が陳列できる書籍は、多くて十数冊が限度。
言うまでもないが、本を売る空間としてはあまりにも小さい。

けれど不思議なことに、その限られたスペースに並べられた本たちはみな、しっかりと個性を持っている。
それぞれの本棚が、書店として成立している。

にもかかわらず、ひとつの本棚からズームアウトして全体を見回した時、個々として見ればバラバラなはずの書架が一体感を持ち、ひとつの書店として立ち現れてくるのだ。

主張しすぎず、抑え過ぎない。

ひとつひとつ書店の個性を出し過ぎてしまえば、全体の統一性は失われてしまう。かといって個性を抑え過ぎれば、客を惹きつける力を持たない陳腐な本棚になってしまう。

「本屋のセレクトショップ」のショーウィンドーは、絶妙なバランスのもとで成立している。


気になった本をパラパラとめくってみようと陳列された本の一つに手を伸ばした時、事件が起こった。
ある本を抜いた拍子に隣にあった本も一緒に倒れ、ドミノ倒しのようにその列の本がすべて床に落ちてしまった。おまけに落下の衝撃で、真下の段に並べられていた本までいっしょに落ちてしまう始末。

やってしまった。

僕はいつもそうだ。必要最小限の動きで、考えうる最悪の結果を引き起こしてしまう。

ティッシュ箱に立てかけてある開いたしょうゆ袋を、腕が軽く触れた拍子に倒してしまい、テーブルをしょうゆまみれにする。僕はそういう男だ。
脳がそういう記憶だけを取捨選択して保存しているのか、それとも本当にそういう星の下に生まれたのかは知らないが、何かやらかすときの僕の動きには、とにかく無駄がない。
ジダンのトラップとタメを張れるくらいだ。

いや、そんなことはどうでもいい。早く拾わなければ。
落ちた本へと手を伸ばそうとしたら、それよりも速くレジに座っていた和氣さんが駆けつけてきた。

「大丈夫でしたか?ケガはありませんでした?」

落ちた本を拾いながら、柔らかい声で尋ねてきた。
僕は慌てて応えた。

「あ、僕は大丈夫です。
 それよりもすみません。本、落としてしまって」
「ああー、全然気にしないでください」
「本当に大丈夫ですか?折れたりしてません?」
「いや、いいっすよ。折れてたらそん時はそん時なので」

なんだろう。
店主の方について、当初抱いていたイメージとは真逆の印象を受けた。
いわゆる「棚で語る」タイプの人なのかなと思っていたが、話してみると想像よりもずっと親しみやすく、柔らかな雰囲気をまとった方のようだ。

この一連のやりとりで、僕は一気に緊張がほぐれた。心なしか店内に漂う空気も変わったような感じがして、もう何年も通い詰めた定食屋にいる時のような、居心地の良さをおぼえてきた。

部屋のひとつに入り、チェアに腰掛けゆっくりと中を見回す。

そこはアート関係の書籍が中心だったようで、一番奥の本棚には絵画、写真、デザイン、ライティングなどに関する書籍が中心にピックアップされていた。
向かって左側にはZINEや自費出版本が置かれており、いくつもの偏愛の結晶が輝きを放つ。
残り一方はブックカバーや栞といった「本にまつわる雑貨」や、アーティストの作品を展示するショールームになっていた。

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BOOKSHOP TRAVELLERが定義する「本屋」は、小売業としての書店にとどまらない。
出版社、作家、ZINE・リトルプレスの作者、アーティスト、さらには本好きの個人による選書など、本にかかわる全ての人々の営みを広義の「本屋」ととらえ、本棚やイベントスペースの提供、トークイベントの企画などを行っている。


落ち着いた空気の中で改めて店内を観察してみて、ようやく合点がいった。この店は、たまらなく「おせっかい焼き」なのだ。


そもそも、本屋を始めようとなった時に「日本各地の本屋、著者、刊行主、その他すべての本を愛する人に場所を提供する」という発想に至るのは、気前のいいお節介だからこそできることだ。

そう考えると、本屋というのも不思議な空間である。
利潤を追求する営利機関であるにもかかわらず、その門戸は万人に開かれている。
ものを販売するマーケットプレイスであるにもかかわらず、人が集まり交流するコミュニティスペースでもある。
プライベートでありながら、パブリックな空間。
ひょっとしたら、こんなふうにたくさんの人を巻き込みながら作り上げていく店こそ、街に溶け込む本屋さんのあるべき姿なのかもしれない。

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店内に置かれたノートブックには、来店した方のメッセージがいくつも残されていた。
素敵な場所へと巡り合えたことへの感謝の言葉、甘酸っぱく純粋な決意の言葉、自分の世界をめいいっぱい表現した言葉。
「本屋のための本屋」がつなぐものは、本と人だけにとどまらない。


店の一番奥には、店主である和氣さんの選書が並ぶ。
アート、音楽、食、仕事、ジェンダー、環境など、幅広いテーマに関する書籍が納められている。

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中でも特に目を引いたのが、書店に関する本だ。
書店を舞台にした小説、実在する書店について綴った実録本、書店主が執筆したエッセイなど、ありとあらゆる「本屋の本」が、ひときわ強い存在感をもって眼前に現れてきた。

誠光社の堀部さんが書いた本を手に取る。前に訪れた本屋の店主による文章を読むと、過去の記憶が再編集されるような気がして不思議な感覚になる。森岡にある書店BOOKNERDの店主、早坂さんの著書をめくってみる。いつか足を運ぶかもしれない本屋に思いを馳せて、綴られた言葉に目をやる。
そして、店主の和氣さん自身が執筆した、全国の素敵な本屋を紹介する本を開く。
世の中にはまだまだ、こんなにも魅力的な本屋があるのか。
始まったばかりの僕の旅に、良い報せを伝える風が吹き込んだ。

「ここで買うとしたら、これしかないな」

本屋のための本屋。

そこで買うなら、やはり「本屋の本」しかない。
さらに本棚の集合住宅の中から特に興味を引いたもの1冊を加えて、それらを買うことに決めた。

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買うものは決まった。のだが、なかなかレジまで足が進まない。
「本屋での本の買い方」というコンセプトで、「各地のさまざまな本屋を訪れ、そこでの体験談を文章にする」というアイデアは、すでに固まっていた。
影響力は少ないにせよ他人の店に一方的なジャッジを下す形になるので、万が一にも名誉の毀損があってはいけない。それに、店のポリシーやコンセプトを誤解したまま発信してしまうことも避けたかった。

だとすれば、店の人に許可を貰うのが通すべき筋ってものだろう。
それが、訪ねた本屋を紹介するという試みの上で自分に課した条件であり、足を運んだお店への最低限の礼儀である。

とはいえ、金銭のやり取りが発生するわけでもないのにいきなり「あなたのお店のこと、文章にしていいですか?」と聞くのもハードルが高い。
ヤバいやつだと思われそうだ。

数歩進めばレジへ行けるのに、その数歩が果てしなく遠い。
自意識過剰が顔をのぞかせ、あてもなく店内を行ったり来たり。
そっちの方がよっぽど不審に見えるとは、どうして思わなかったのか。


20分経ってようやくトークスクリプトと決意が固まった僕は、意を決して和氣さんの座るレジへ向かった。

「すみません、これ下さい」
「ありがとうございます。あ、これ僕の著書なんですよ!」
「ああ、存じ上げてます〜、さっきちょっと調べさせてもらったので(笑)」
「そうなんですね!(笑)恐縮です」

会計を済ませる少しの時間にも、会話が弾む。
この人は本当に、接する人の緊張をほぐす術を良く心得ているのだなぁと実感した。それと同時に、勝手に萎縮していた入店当時の自分を咎めたくなった。

決済を終え、商品が僕の手に渡る。
タイミングは、今しかない。

「あのー、つかぬことをお聞きしたいのですけど」
「はい、なんですか?」
「僕、趣味で文章を書いていまして。
この度『実際に行った本屋を紹介する』ってテーマで書こうと思っていて、是非おたくのお店を紹介したいのですが、よろしいでしょうか?」

頭の中で何度も反芻したフレーズを、息継ぎなしで読み上げる。
後には、言い切った安堵感と言ってしまった後悔が残った。この感覚、何かに似ていた。
アレだ。学生時代クラスメイトに告白する時の、あの感覚だ。
相手は初対面の男性で、目的は許可をとることなのだが。
さあ、相手は何と答えるだろうか。

「いいですね〜、是非やっちゃって下さい!」

あっさり快諾。
僕はもう少し、人を信じることを覚えたほうがいい。

ついでに原稿の確認も了承いただき、僕は店をあとにした。
外へ出るとすぐに、7月の日差しが容赦なく僕を焼きつけてきた。

「最初に訪れたところが、ここでよかった」
安堵と満足感をセットで持ち帰って、僕は足早に下北沢の街をあとにした。


店名の由来にもなっている「Bookshop Travel」とは、その土地の書店を訪ねに出かけるという、新たな旅行のスタイルを指すのだそう。
これから日本各地の本屋を訪れようと企てている自分の姿と、なんとなくオーバーラップしているように感じた。

偶然の一致にしてはあまりに出来過ぎていると思うのだが、果たしてそいつは僕の勘違いに過ぎないのだろうか?


今回紹介した本屋


買った本


あなたのちょっとのやさしさが、わたしの大きな力になります。 ご厚意いただけましたら、より佳い文章にて報いらせていただきます。