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感謝が足りないと神様に2回怒られた話


人知を超えた出来事に遭遇したとき。見えない力に助けられたと感じたこと、ありますか?

父と母の死に直面した時、その度にちょっとした出会いがありました。深くズドーンと沈んで潜って落ちた私を、ヒョイッと引っ張りあげてくれた、そんなお話。

信じるか信じないかはあなた次第。(パクリ)

きっと人生にはどうやら、ドカンと大きなショックな出来事を設定した後に、ジワジワと溜まっていた課題や膿みをあぶりだして気づかせてくれる、ナビゲーターさんを設定していてくれているようです。

2000年。母が突然死しました。直前に電話で話していたこともあり当時の私は、自責の念の塊で、なかなか気持ちの整理がつかずにいました。

こちらのnoteはその時の事を書きました

そのモヤモヤした気持ちは、1番近くで生活をしていた夫に向くようになったのです。
きっかけは忘れたけど、些細な出来事だったと思います。

何も分かってくれない。育児も何も手伝ってくれない。こんなんなら、1人で子供を育てた方がよっぽど楽だ。そんな思いを毎日抱えるようになりました。その頃、友達の親戚のおばさんが居なくなってちょっとした騒ぎになった事があって、それをある神社の宮司さんが、場所などを言い当ててくれて見つかった、という出来事がありました。

見えないものが見える、そういう力のある宮司さんです。
こういう話になると、信じるか信じないか、ってなりますよね。そこは個人の考え方。どちらでもいいと思います。私は昔から、自分にそういう力はないけど、見えるものが全てじゃない、と思っているタイプ。さ迷っている霊も居るだろうし、
宇宙には宇宙人いるだろうし、なんなら街中にもいると思ってて。
それと言うのも、中学か高校の頃に読んだ、ユーミンの「ルージュの伝言」という本があって、そこに、ユーミンが新宿の紀伊国屋で緑色のジャージの上下を着た宇宙人を見たって話があるんです。多感な年頃の私はそれがとても印象に残っていて、なんだかとても納得できたのです。その後、UFOは人里離れた所に着地して、洗濯物から人間のデフォルトの衣装を検知する。その地区の学校ジャージは緑色だったのか、それを平均的な人間の服装、と認識して新宿の本屋に行った、と言う話をどこかで聞いて😌なんか、かわいい🥰と思ったのでした。それから、あの人宇宙人じゃないかしら?いつか会いたいわぁ。そんな風に思いながら大人になりました。少し、脱線😅

年末だったか、年始だったか、寒い頃でした。
神社に行って宮司さんにお会いしました。
その時思ってたことを、吐き出して聞いてもらって、言われた事は、

「あんたは感謝が足りないね」

でした。

当時の私は、はぁ??十分感謝してるし!これ以上何を感謝したらいいのさ!そう思いました😅。←ひどい。若いって怖い😅

今思えば、宮司さんはお見通しだったのでしょうね。もう少し日々の出来事や身近な人、先祖に感謝をしてみなさい。ここに来たのがダンナじゃなくてあんただから言うんだよ。感謝してるかい?そんな話をしてるうちに、どんどん気持ちが落ち着いてきました。
感謝かぁ。足りないかもしれないなぁ。。なんで私は感謝してるけど!とか言いきれちゃうんだろ。その時点で違うのかもしれないぞ。私が私が!自分を押しつけて、何も言わずに分かってくれないと嘆いて怒る。。なんて勝手なんだ!そんなふうに思いました。
その後も神社に通ってるうちに、気持ちはだんだん落ち着いてきました。
ここで、1つ学んだんですね。

でも、この時点ではまだまだ、父に対する憎しみとか嫌悪感を、たらふく抱えていました。

2020年。体調が良くない父の所に通う毎日、そんな中、自宅で、一人で父は亡くなりました。やはり、何かもっと出来たのではないか、そして、ずっと持っていた父へのわだかまりを抱えたまま悶々とする日々が続きました。

気づけば、日々の忙しさから神社に行くこともなくなっていました。

そしてまた、出会いがありました。今度は私よりうんと若いかわいらしい女性。
お話させて頂く機会があって、その時は亡くなった父の事を話しました。

で、どうしたいんですか?
過ぎたことですよね?
終わった事ですよね?

あれ?私は何をどうしたくて、何をずっと引きずっていたんだろう

20年前の宮司さんより、もっと的確にピンポイントな指摘が続いて、話をしている間からモヤモヤが晴れて行く様な気持ちになり、今までずっと、私は何に囚われているんだろう?何を見るべきなんだろう?今まで隠れていた、つかめそうでつかめない、見えそうで見えない何かを確かに感じたのです。

そして、やっぱり言われたのです。

「感謝してますか?」

まただ!うゎ!20年前と何も変わってない、、、

歳を食って、50を過ぎた私はその言葉をすんなりと受け入れられる様になっていました。
その頃はまだ父に対する思いは混沌としていたけど、でも、自分がいることは、両親あってのこと、そしてそれを繋いでくれた先祖、導いてくれる、それこそ目に見えない力のおかげ。関わってくれた全ての人のおかげ。20年生きて、子供を3人そだてながら、そんなことは体感できるようになっていました。
歳をとるのも悪くないものです☺️

でも、根っこの部分がちゃんと整っていなかったんですね。

その根っこって?子供の頃、もしかしたら物事つく前、いえ、母のお腹にいた時から、傷ついたり満たされない気持ちを癒せないままフタをしてきて閉じ込めて来た、私自身の内側の問題。
自分で自分をちゃんと愛すること。
1番見えてないものも、見なきゃいけないのも、自分のことかもしれない。。。

そんな風に思う様になりました。20年たって向き合うべき学びが、またでてきました。

親が死んでしまった。それは私の中では人生の大きな転機でした。

その転機に、偶然にも2回、神様から感謝が足りないと言われました。1回で気づけよ。って話もあるけど、そこが私のチャームポイント😅

そのおかげで、今があります。
20年前には見えなかった事が今は少しだけ分かるようになった気がします。そして少しずつ軽くなってます。

閉じ込めていた母に対する、なにもしてあげられなかったという罪悪感も、父に対する、子供の頃から持ち続けていた一言では言えない色々な複雑な気持ちも、外に出して一つ一つ向き合えるようになりました。
そうしてるうちに、いつもどこかで持っていた、自分を認められない気持ちや、何かが違う、満足できない気持ちの正体も見えてきました。その話はまた違う機会に😊

それは膨大な量の、感情の整理整頓と手放しなので中々進みません。

ゆっくりゆっくり。行こうと思います。

目には見えないけど確かに守ってくれてる存在。
あなたは、あると思いますか?
私はあると思います。日常の些細な事、例えば携帯など無い時代。
広い駅の構内で、クルッと方向転換して振り向いたらいた!!探してた人とばったり会えた!そんな事がしょっちゅうあったり。
これ買おう。と買っていくと、息子が買って来て欲しいもので、すげぇ!なんで分かったの?とか。たとえ消しゴム1つでも、小さなヒラメキみたいに助けてくれたり教えてくれたりするもの。
それは、誰にでもあるものだと思います。みんな見えない何かに守られてる。

神的なタイミングで巡り会わせてくれた人たちを通して、神様に痛い指摘をされて、ハッと目を覚ますきっかけをもらった。
そんなお話しでした。

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