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終末期を感じて ~母のこと(1)~

親がもう老年期で、そろそろ終末が見えてきた歳なのだけれども。今回書くのは母のこと。

母は必ずしも良い親ではなかった。そこをグダグダいうのは好きではないので割愛するが、がんじがらめにするタイプだった。あれこれひと悶着どころか、数十年をかけた苦悩と戦いの末に結局は和解した。それからは比較的、良好な親子関係だ。

母が肺がんのステージ4だと言われて「終わったのだな」と思ったが、実際はまだ元気だったころから始まっている。最近は横になる時間も増えて不調の日が続いているが、でも炊事はやっている。それをやることが大切だと思っているみたいで。

いろいろひと悶着あったくせに、母が消えてしまうかと思うと寂しくなる。元気そうな日があれば、それが永遠に続きそうな錯覚をする。でも続かない。少しずつ病状は悪くなっている。もう年齢的に考えれば亡くなってもおかしくないのに、そこが納得できない。

オピオイドを使うようになってまたもや私は「終わったな」と思った。オピオイドとは麻薬だ、麻薬性の鎮痛薬である。母は痛みはさほどないのだが、呼吸苦がある。そのオピオイドも増量を重ねているが、どうも呼吸苦が治まらなくなってきたらしい。

見ていると歯がゆいばかりだ。死に向かってゆるやかに落ちて行っているのだろう。でも止めようが無いのだ。私は母に気休めやごまかしをいうばかりである。無力でしかない。

書きたいことは沢山あるが、長くなるのでまた今度に。ときどきこうやって息抜きに書かせてもらおうと思う。

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