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星になったおれの転職話

「えええええっっっっ!!!!!」

通販番組で「○○が、なんと今回はこのお値段!」と価格が示されたときのサクラの反応のような、ベタな驚きの声を母さんが上げたのは、ある夏の日の、朝食の時間だった。

当時のおれは実家住まい。その日の朝は、フリーライターの特権に浸って毎朝誰よりも遅い8時過ぎに起きるおれと母さんの二人きりだった。

ほかの家族が会社、大学、高校に出払った後、おれと母さんはそれぞれの朝食をつつきながら、漫然とTVを眺めていた。フジテレビで8時からやっている小倉さんの番組だ。

途中で、ある映画の紹介が始まった。

実話に基づく日本人初のゾウ使いを描いた星になった少年/Shining Boy and Little Randy』。

映画『星になった少年/Shining Boy and Little Randy』

フジテレビも出資していたのだろう、主人公の柳楽君のインタビューなど、ずいぶんアツく取り上げられていた。

知る人ぞ知る話で、言ってみれば大半の人は知らなくてもいいことだが、おれは動物に弱い。動物が大好きだ。犬、猫、馬、なんでも好きで、特に象が好きなんだ。ムツゴロウさんに憧れて、ムツゴロウ王国に就職したかった。ムツゴロウの番組を打ち切りやがったフジテレビに憎悪を感じるほどだ。

ちなみに、母さんは子どもの頃、実家で犬と猫とヤギと鶏を飼っていたという、ぷちムツゴロウ的な生活を送っていたらしく、やはり動物に目がない。

俄かにムツゴロウと化したおれと母さんは、食い入るようにTVを見つめた。

ブラウン管からは、映画で使われている「チャ~ララ~ チャララ~ラ~」というパイプオルガンのような音色のメインテーマ曲が流れてくる。ちなみに、この映画で使われる楽曲は全て坂本龍一が製作したもの。なかでもメインテーマ曲の柔らかで和む音色がとても心地良く、もともと坂本龍一の楽曲が好きだったおれは、呟いた。

「サウンドトラック買おうかな」

その刹那、冒頭のリアクション。

「えええええっっっっ!!!!!」

テーブルを挟んで向かい合う母さんからあがる素っ頓狂な声。おれはその音圧に思わずのけ反った。

何かNGワードでも口にしてしまったのか、いや、NGワードどころではない地雷をタップダンスのように踏みつけてしまったのか。でも、今の母さんの見た目を一言で表すなら、「驚愕」が当てはまる。

な、なんだよ…、どうしたんだ、急に――。

慄いたおれは、パイプオルガンのような穏やかな声色で切り替えした。
母さんを刺激して、目玉焼きを喉に詰まらせて悶死されても目覚めが悪い。

するとmy mother said.

「あ、あんた、また転職するの?」

へ?

歯型造りに失敗した入れ歯のような、全く噛み合わない母さんの返答におれは震撼した。

そう、おれの脳裏に浮かんだwordそれは「ボケ」。

なんの話だ、my mother. 白昼夢ならず白朝夢にでも漂っていたのかい?
それともどっかの誰かが電波に乗って話しかけてくるのかい?

しかし、母さんは母さんで、「この子、あたま大丈夫かしら」という憐憫に満ちた視線でおれを見ている。絡み合う視線、母子の間に潜む死線。

おれは、勇気を振り絞ってもう一度聞いた。

転職ってなんの話?

母さんは、舞の海に肩透かしをくらった直後の曙のような表情で、え? っと言った後、何食わぬ顔で、言葉の投げ捨てジャーマンスープレックスをかましてくれた。

「だって、あんた、今、3トントラック買うって…?」

………………………言ってねぇよ。

あまりの大技に受身を取り忘れ、脳みそがクラクラし、なんとか返答するまでに5秒は要した。

きょとん、という言葉を体現するように、小首を傾げる母さん。
リビングを支配する沈黙。1秒、2秒、3秒……。

その静けさは、母さんの「神の言葉」を反芻させるのに十分の間だった。おれは、TSUNAMIのごとく押し寄せてくる笑いの波に飲み込まれつつ、息継ぎしながら訂正した。

サウンドトラック、映画の音楽の話だよ、坂本龍一のCD買おうかなって話だよ。

聞きまつがい、いや、聞き間違いを指摘された母さんだが、そんな「些細な」間違いに対する恥じらいなど、言うまでもなく持ち合わせていない。

「あら」

と、ごく簡単なリアクションを済ませると、少しの間を置いて、おれと一緒にケラケラと笑い始めた。

おれが3トントラックを買わないと知って、どこかホッとしたように見えたのは目の錯覚だろうか。

トラック野郎にはならないよ。だって向いてなさそうだろ、いかにも。

筆者近影

子の行く末を心配する親心を感じ、安心させてやろうと、少しテレながらもおれがそう言葉をかけると、母さんは、言った、コーヒーを飲みながら。

「ふーん」

…全く聞いてねぇ。

1%も、おれの温かみある言葉に対するリアクションになってねぇ。そのとき既に、母さんの視線は手元にある「スーパー丸正」の折り込みチラシに向かっていたとさ。

……この話をしてから数年後、おれは取材で岩手サファリパークに行き、ラオス人のゾウ使いに弟子入りした。へっぴり腰でゾウにまたがっていた時、俺の頭のなかでは映画『星になった少年/Shining Boy and Little Randy』のテーマ曲が流れていた。そして、母ちゃんのことを思い出した。

母ちゃん、おれ、3トントラックじゃなくて、ゾウに乗ったぜ。

ゾウとセルフィ―

#創作大賞2024 #エッセイ部門


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