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リック・ダンコ追悼

 リック・ダンコはザ・バンドのリード・ボーカル、ベース、そしてフィドル奏者などだった。1943年にカナダのオンタリオで生まれ、いくつかの素敵な音楽を残して、1999年12月10日に死んだ。56歳、ということになる。

 ザ・バンドの魅力のひとつに、三つのボーカルがあるように思う。リヴォン・ヘルムのアメリカ人(ヤンキー)らしい乾いた伸びのある声、リチャード・マニュエルの感傷的な湿度のある声、そしてリック・ダンコの落ち着きのない性急な声。その三つのボーカルが曲によってそれぞれ、あるいは同時に混じり合い、音楽による物語を演じていくところがザ・バンドの醍醐味のひとつであった。

 リック・ダンコのボーカルは、とりわけ若者特有のいくぶん哀愁を帯びた、ぶっきらぼうで切羽詰まったようなスタイルに支えられていたから、後年のかれのボーカルはすでにその声が醜く脂ぎった肉の塊のように割れてしまい、聞いていても辛かったように記憶している。

 かれの死因はいまのところ分からないけれど、後年ぶよぶよと締まりなく太ってきた体型や性格などから察するに、大酒のみで、かれらしい気まぐれな不摂生さが祟ったのではないかと思われてならない。ディランの30周年記念コンサートに出演したときも、ひどく酩酊しているような感じだったし。56歳というのは、やはり若すぎる。

 ともあれ、これで1986年に自ら命を絶ったリチャード・マニュエルに続いて、ザ・バンドの三つのボーカルのうちの二つ目が永遠に失われてしまったわけだ。感慨無量というしかない。


 リック・ダンコは、デビュー時にしてすでにどこか人生を悟ってしまったような泰然たるザ・バンドの他のメンバーの中にあって唯一、気取り屋で、見栄ん坊で、そわそわと落ち着きがない、やんちゃ坊主のようなキャラクターであった。ザ・バンドの他のメンバーも、そしてぼくも、そんなかれのキャラクターを愛していたし、ぼくはかれのボーカルがリチャード・マニュエルの次に好きだった。

 いちばん好きだった曲は、やっぱりさすらいの哀愁感満ちた It Makes No Differrence だろうか。リチャード・マニュエルが死んだ後に行われた新生ザ・バンドの来日公演で、リック・ダンコがこの曲のテンポをひどく落として、まるでソウル・バラッドのように、なかば涙を浮かべながら歌っていたのを思い出す。きっとリチャード・マニュエルへの追悼曲だったのだろう。

 ほかにも「Big Pink」に入っている Long Black Veil も印象的だし、性急な Stage Fright や Endress Highway などはかれの持ち味がたっぷり生かされた佳曲だろう。The Weight での後半のバース、これはぼくらがバンドで演奏したときにぼくのパートだったから、思いっきりリックのボーカルを真似て歌ったのが懐かしい思い出だ。

 他のたくさんの曲でも、リヴォンやリチャードのボーカルに交じって、リック・ダンコがときにはせっついたような、ときにはすすり泣くような裏声を使って曲に入ってくる瞬間も好きだった。そうそう、ディランと共作した This Wheel's On Fire もあったし、クラプトンの「No Reason To Cry」でクラプトンとデュエットしている曲も良かったなあ。それに目立たない曲だが、ザ・バンドの最後のアルバム「Islands」に入っているキリストの生誕を歌ったクリスマス・ソング Christmas Must Be Tonight なんかも。ああ、きりがない・・・

 またリック・ダンコは、ベース・プレイヤーとしても非常に個性的であったように思う。これもまたかれらしい性急さで、フラット・ベースの上をポンポンと跳ね上がるように移動していく独特なベース・プレイは、個人的にはザ・ビートルズのポールのベースと同じくらいに好きだった。日本では元YMOのベーシストであった細野晴臣が、リック・ダンコのベースに影響を受けたと言っていたのをどこかで読み、ほーそうかあ....と何やら嬉しい気持ちになったのを覚えている。

 リック・ダンコは15歳で学校をやめてから、リヴォン・ヘルムのいたロニー・ホーキンスのバンドと出逢うまでの2年ばかりの間、食肉加工の仕事の見習いをしていたらしい。「一日に何頭もの喉をかっ切る仕事ではなく、肉を四つに分けたり、切り身に分けたりする仕事だ。その仕事には、ほかの職人の技術とおなじように、芸術に近いものがあった」

 何年か前に読んだリヴォン・ヘルムの『ザ・バンド 軌跡 Levon Helm And The Story Of The Band』(管野彰子訳・音楽之友社)という本の中で、リヴォンが追想しながら書いているこんな場面が何故かひどく心に残った。

 「ある日の午後遅く、昔のレイ・チャールズのレコードを聞いて魅力的なリフを研究していた」リヴォンのところへ、リック・ダンコから「すぐにジープで来てくれ」と電話がかかってくる。リックとボビー・チャールズの乗った車が山道で一頭の鹿をはねたのだ。リヴォンのジープで死んだ鹿をレボンの家の裏の林に運び、途中からリチャード・マニュエルもやって来てみんなで鹿を木の枝につり上げ、リック・ダンコが「シムコーの食肉市場を出て以来だな」と解体作業にとりかかるのだが、これがなかなかうまくいかない。液状の鹿の糞をかぶりながら懸命に作業するリックを、リヴォンやリチャードが野次馬見物さながら腹をかかえて大笑いをしてしている。そんな話である。アルバム「Cahoots」の頃であったという。

 リック・ダンコ死亡の知らせを聞いた日の深夜、ぼくはザ・バンドのアルバムではなく、「The Last Waltz」の頃に出たリックの唯一のソロ・アルバムの中の Sweet Romance という切ないバラード曲を聴いた。最後までやんちゃ坊主のようだったリック・ダンコにとって、ザ・バンドの音楽とともに過ごしたその人生は、ひとつの甘美な Sweet Romance であったのかも知れない。

 ロビー・ロバートソンの言葉をここで引いておこう。

 ぼくらはみんな若かったな。あの頃は、16, 7 だったね。なかにはすばらしいところもあれば、おっかないところもあり、またぞっとするような気味の悪いところもあった。そして、いまに至るまでとてもありがたい、有益だったところもあったよ。

 ナップザックを背中にしょって旅に出て、人生について学ぶ代わりに、ぼくらは五人が一緒になってそれをやることができたんだ。ぼくらはそれぞれお互いに守られていた。お互いを守り合っていたんだ。

 こんな言い方は柄ではないし凡庸だが、いまごろはきっと、ひさしぶりにリチャード・マニュエルとも再会して大酒をくらいながら、大好きな天国のミュージシャンたちとパーティのようなどんちゃん騒ぎのセッションでも繰り広げているのだろう。地上でプレイしてきたさまざまな音楽を辿りながら。

Thank you, Rick, for your music ! 


(1999.12)


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