記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

読書ノート 『本の背骨が最後に残る』

帯のコメントがたまらない。
「読まないほうがいい。虜になってしまうから…」
これ、平置きしてあったら絶対にみます。
その言葉のとおり、冒頭の一文から虜です。

ホラーと怪異の異様な世界へ引きずり込まれる。
人間の内側にある嗜虐性は怖いけれど、外側に出なければ無いのとおなじです。
見えるものだけが真実ではないことを堪能できます。
残酷なはずなのに、文章の表現が美しいからマイルドになってます。

作品:本の背骨が最後に残る
作者:斜線堂有紀
出版:光文社
頁数:280
単行本:2023.9.21

本を焼くのが最上の娯楽であるように、人を焼くことも至上の愉悦であった。
その国では、物語を語る者が「本」と呼ばれる。
一冊につき、一つの物語。
ところが稀に同じ本に異同が生じる。
そこで開かれるのが市井の人々の娯楽、「版重ね」だった。
どちらかの「誤植」を見つけるために各々の正当性をぶつけ合う本と本。
互いに目を血走らせるほど必死なのはなぜか。
誤植と断じられた者は「焚書」、すなわち業火に焼べられ骨しか残らないからである。

表題作他「痛妃婚姻譚」「金魚姫の物語」「本は背骨が最初に形成る」など7編収録。

光文社HPより

「本の背骨が最後に残る」

紙の本をすべて燃やした国。
代わりに語るのは、本と呼ばれる人間たち。
その身に宿せるのは1つの物語。
内容の異なる本同士が炎の熱に炙られながら論戦を繰り広げ、自分の方が正しいと証明する。
負けた本は、焚書される。
生きながら、骨になるまで。

「本を焼くのが最上の娯楽であるように、人を焼くことも至上の愉悦であった」という冒頭の一文から心をガシッと掴まれる。
あっ、この小説ヤバいわ!とっさに身構えるほどに。
内容が正しいか間違っているかなんてものはどうでもよくて、面白いかつまらないかなのだ。
紙の本、ここでは「肺のない本」と表されているが、絶対的に正しいと証明できる紙の本がない。
それはとても恐ろしい。

捏造や脚色といったところかな。

SNSであれば、炎上したら飽きられるまで燃やされつづける。


「死してきて屍知る者無し」

人間と動物が一緒に暮らすコミュニティ。
その動物は亡くなった故人が転化して生まれ変わった姿なのだ。
雨上がりの川に流されて亡くなった少年は驢馬ロバに転化して帰ってきた。
仲のよかった少女は森でボロボロの少年に出会うが、秘密に気づいたことでパニックになってしまう。
とてつもない恐怖に支配された少女は、少年の
転化前の姿をしたもの  •  •  •  •  •  •  •  •  •  •  を、拒絶してしまう。

信じていた現実が虚構だったとき、世界が崩れる音が聞こえてくる。
常識に盲信してしまうのが人間なんだけれど、狭く管理されたコミュニティには疑問に思うことさえ許されない。
死んだはずの人間があらわれた瞬間、頭の中でいろいろなものが繋がる気持ちよさがある。
語られない謎を考えるのがとても楽しい。

思考停止とは恐ろしいものだ。


「ドッペルイェーガー」
嗜虐性を隠して生きている女性は、VR空間で少女を狩ることで欲求を満たしていた。
ある日、婚約者にそのデータが見つかってしまう。
婚約者は少女を助けようとVR空間へ向かう。
少女のモデルが女性自身であるということを忘れて。

他者を痛めつけるのが好き、というと酷いひとに思えるけれど、そんなひとは多いのではないか。
自分の内側にある悪いとされる欲望は抑えなければいけない。
だれにも知られずに欲望を貪るのはいいと思う。
バレたからといって、犯罪でないのならいいのではないか。
多様性を叫んでみても、自分の信じたもの、理解できるものだけしか寛容になれないのでは独善的でしかない。
一方的な嫌悪感で裁いてはいけないな。
逆に隠された趣向が自分好みだったとき、強烈に虜になってしまうだろう。

この短編が1番好き。


「痛妃婚姻譚」
痛みの伴侶といわれる痛妃。
蜘蛛の糸という装置を取り付けられ、他人の痛みを肩代わりする。
美しい女性たちはさらに美しく着飾り、その痛みに耐えて毎夜舞踏会で踊りつづける。
100夜連続で紅い椿を贈られたら痛妃の役から解放される。
その100夜目、想像を絶する痛みが襲う。

女性に限らない、下手をしたら男性の方が厄介な嫉妬。
そんな感情にかられた人間はどこまで冷酷になれるのだろうか。
負の感情に囚われた人間の攻撃性は、いきつくところまで止まらない。

日本人は、自分の利益よりも他者の不利益を優先する性質が他国民よりも強いらしい。

痛みに慣れると鈍感になっていくみたいだけど、やっぱり痛いのは避けていきたいね。


「金魚姫の物語」

突然、自分だけに雨が降る。
傘も建物も意味がない、服の内側にも降る雨は、不治の病ならぬ不止の雨と呼ばれる。
人間は濡れつづけると約16日で死に至る。
美しい女性の、死に至るまでを写真に残して、展示した高校生のお話。

胸がギュッと締めつけられる。
残酷な事実を伝えるか、美しい願いを伝えるか。
現実でもやってしまう、自分の価値観で批評はするのに相手のことを考えない。
隠されている意図を正確に汲みとることはできないけれど、せめて疑問に感じれる感覚はもっていたい。

人間はみたいのだ、無惨に朽ち果てていく様を。
それをみたときの感情の中に安心感を得るものだから。


「デウス•エクス•セラピー」

過去にいき、死の運命にある者の過程にある苦しみをとり除く治療法。
だれかを救うことが気晴らしになると。
苦しみながら死ぬところを楽に死なす、結局は死ぬのに、それは救いになるのだろうか。

相手にとって必要な処方なのか、厄介者をやり過ごすための気休めなのか、真摯に相手に向き合うこともなく価値観を押しつけるのは救いになるどころか、追い詰めるだけなのではないか。

現実を煮詰めたらこんな感じだな。


「本は背骨が最初に形成る」

表題作へ繋がる前日譚。
怪物が誕生する。
陶酔する本への憧れから自らも本となる。

この論戦をいつまでも読んでいたい。
カイジのようで嘘喰いのような、その場を支配している絶対的存在。
勝利することがわかっているのに、ゾクゾクする緊張感と気持ちよさがクセになってくる。
嗜虐性が刺激されるから、病んでいるときに読まないほうがいい、虜になってしまうから。


痛みを与える
痛みを受ける
肉体的な痛みは精神に干渉します。

悲惨さが悲劇的であればあるほどに、心に感じる痛みは大きくなります。
悲劇をみて感じる痛みを美しいと思えるからこそ、人間は嗜虐さを求めるのかもしれません。

悲劇的な恋愛小説、凄惨な殺人事件、戦争を映しだす写真や絵画、自然災害の記録など。
それらをみて感じる痛みはなんなのか、破壊的な美しさもあるのかもしれません。

目を背けたくなるものをあえてみる。

斜線堂しゃせんどう有紀ゆうき
はじめて作品を読んだけれど、わたしはもうこのひとの虜になってしまった。
グロテスクな表現の中に美しさが存在して、その痛みを受けてもいいと思わせてくれる。
このひとの嗜虐性には品性を感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?