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「若者の車離れ」というけれど。車の素晴らしさを若者が語ってみる。



最近、車を買った。
私がずっと憧れだったセダンだ。


18の頃から、恋人時代を含め、夫といて早10年。


私たちは両方とも首都圏在住者で、車がないと生きていけないような場所ではなかったし、普段の移動、通学・買い物・デートまで全て電車かバスだった。
それが当たり前だったし、生まれてこの方不況しか知らない世代なのもあって「デートは車じゃないと嫌だ」とか、そういう価値観とは無縁のまま恋人時代を送り、結婚したあとも特に不満もなく車なしで生活していた。
彼の仕事も車を一切使わない上、車通勤禁止の、都心限定の仕事だったのもある。


しかしながら、買い物をして荷物が多くなり帰り道がとても辛かったり、終電を気にしなくてはならなくて忙しなかったり、行き来だけで激しく疲労したりして、出かけるしんどさを感じる場面が多く、外出に億劫な生活になっていた。


「車があれば、楽なのにね」というセリフが何度も出るようになったのは、彼が社会人としての生活に慣れてきた頃。


決定的だったのは3年前に群馬県の伊香保に旅行に行った時で、どの場所に行くにもまずは見知らぬなれない土地でバス停を探さねばならかった。
小雨が振り仕切る中、定刻通りに来るか分からないバスを待ちながら、夫は免許を取ろうと決意をした。


私の親も、夫の親も、大学時代に子供の免許代を出してくれるような親ではなかったので、彼は社会人4年目にして自腹で取ることに。


1度目の教習校があまりに酷くて学校を変えたりなどのゴタゴタはあったものの、無事試験一発合格。


そして1ヶ月前に中古のセダンを買った。
買ったのは、私がずっと憧れていたスバルのレガシィだ。


車を買ってよかったこと。それは出かけることの煩わしさが全て消えたということ。


たくさん増える荷物も積んでしまえばいい。
電車やバスの時刻を気にしなくていい。
好きな時に好きな場所に行ける。
疲れたら、迷惑や違反にならない場所に駐車して、仮眠だって取れる。


そして、とにかく自由だということ。


ガソリンを入れればどこまでも行ける。
諦めていた場所、電車やバスでは少し面倒な場所にも。


夫は車の魅力に取り憑かれてしまい、『自分が大きな機械と一体となって動かすこと』、それ自体の楽しさに夢中になった。
一日に気がつけば4時間以上、6時間以上ドライブをしているようなこともザラ。


「1日乗れないだけでも苦しい」、「1日中乗っていたい」とこぼすほど、彼は、車が新しい大切な趣味になった。


(コロナによる不要不急の外出自粛を叫ばれている今、外出するのは肩身が狭いようなところもあるが、公共交通機関を利用せずドライブするのみか、もしくはドライブした後にほとんど人気のない場所に数分だけ滞在する(※もちろんマスクは着用している)のは問題はない範囲だと思う)


SUVが人気を博している現在、セダンは人気が凋落し、ラインナップからどんどん姿を消している。


それを知っていてもなお、私はどうしてもセダンが欲しかった。
ずっとずっと、セダンに憧れていた。


私の父親はケチだったので、マツダのデミオやトヨタのイストという、ハッチバックのコンパクトカーにしか乗ったことがなく、子供の頃からセダンのあのなんとも言えない高級感に焦がれていたのだ。


車体の流れるようなライン。ゆったり足を伸ばして座れるシート。座席とトランクが分かれていて、荷物のガサガサ揺れる音が聞こえない、車。


なぜセダンなのか、維持費も購入費も抑えられる軽でいいじゃないか、という意見があるのも分かる。今1番売れているのも軽自動車だ。


夫が免許を取ってから、レガシィを買うまで、義母の軽(スーパーハイトワゴン)に何度も乗ってきた。


辛辣かつ辛口なクチコミになるので、具体的な社名や車の名前は伏せるが、あまりにもその軽は酷かった。


その車が一番最低なのはブレーキの効きが緩いこと。
ペダルの遊びが大きいのでかなり強めに踏み込まなければならないし、ある程度減速するとブレーキが抜ける。そのため更にブレーキペダルを踏み込まざるを得ない。
アクセルを踏んでからの加速にも秒単位のラグが出るし、走行音が非常にうるさい。会話が聞こえないほど。そしてとにかく揺れる。
高速を走ろうものなら酔って気持ちが悪くなり、寝込んでしまうほど。


何より、その車に乗って数キロ出て帰ってくるだけでとても疲れてしまうのだ。
尋常では無い疲れ。近所の買い出しで、帰宅して買った物を車から出してしまうのが本当に辛いほど。
何故だろうな、と思ったが、原因はこの軽自動車による揺れと騒音による疲労だった。


スバルのレガシィに乗ってからは、全く疲れないし、酔わない。ブレーキもアクセルも素直にきいてくれ、走行音も静か、走りもなめらか、不快な揺れもほとんど無い。


同じ車でも、これ程違うのか、と驚かされた。
助手席に乗っている私がこれほど疲労困憊するのだから、運転していた夫の心労は凄まじいものだっただろう。


その軽自動車は、道端の小さな凹凸を全て拾って、勝手にかつ簡単に方向を変えるので、常にハンドルを握り微調整するように神経を張り詰めていなくてはならなかったり、とにかくストレスフルだったようだ。
ハイトールで軽自動車という車体の軽さゆえ風の強い日はもろにその煽りを受けて、ぐらぐらゆらゆら揺れてしまう。(そしてそれが疲れや体調不良に繋がる)


(私たち夫婦は、こうした経験から、軽自動車は選ばなかったし、これからも軽自動車を選ぶことはないだろう)


女性が、「いい靴は素敵な場所に連れていってくれる」と言われるように、「車には夢がある」 。どこまでも行けるという夢が。


ネットでは、都心部や首都圏ならば車は必要ない、その数ヶ月の車の維持費で飛行機に乗って沖縄等に行けるから車は要らないなどの意見をよく読むことがある。


価値観は様々なので、押し付けるつもりもないのだが、自分の所有しているモノで、思い立ったらすぐにサッと乗って出かけられるという気楽さはやはり大きいと思うのだ。
(ジェット機を所有してるなら違うかもしれないが、普通は飛行機なら予約の手間がある)


バスや電車などの時間の制約から逃れられるのも大きい。荷物がいっぱいになる買い物も楽になる。


私の場合、父親が何故か本屋やカフェ、雑貨屋などが近場に一切ない新興住宅街に住む習性があったので、本が欲しいとなれば電車を乗り換えた先の繁華街のある駅に行かなければならなかった。
その経験から、住む場所には最寄りの駅に本屋やカフェなどがあること、というこだわりがある。
カフェや本屋、雑貨屋や服屋なんて、常に行く必要があるわけでもないし、週一で通っている訳では無いが、「選択肢」があるということは、本当に大きいのだ。それが豊かさだと思う。


車を持つということは、「気楽さ」と「手段」と「選択肢」と「可能性」を所有していることだと思う。


若者の車離れが叫ばれて久しいが、背景には、非正規雇用が増えて安定のない収入や、車の維持費を捻出出来ない問題がある。
車関係の税金の高さ、都心の駐車場代が高すぎる問題だってある。
それらは決して見過ごせないし、簡単に解決できる問題でもないのは承知の上で、でも、それでも言いたい。


ギリギリ若者のひとりとして言うが、それらを相殺してしまうほどの魅力が、車にはある。少なくとも私はそう思う。


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