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灰色地帯より①

  その言葉を言われた時、僕は自分の思いとその言葉を正直に認めることができなかった。こういう時、僕の意識は中へと入り込む。そして、自分の中の様々な一部が会議のようなものを始める。今日も、頭の中でいくつもの自分が井戸端会議をし始めた。
 だいたいこんな時は自分の中の冷淡な部分と優しい(というより、甘やかし)部分がいつものように言い争っている。簡潔なイメージを言うと、天使と悪魔みたいなものだろうか。
「やっぱり(笑)。まあ、こうやって第三者からの意見が出てきたわけだし、しょうがないよね。安心しろよ。1度そういう風に言われると、保険とか?なんかそういうの入れなくなるとか言うらしいしさ」
「でも、その1歩手前なんでしょ。こういうのはグラデーションって言って、明確な境界線があるわけではないし…」
「おまえ、まだあの言葉を受け入れられないんだよな?そういうの、往生際が悪いって言うんだけど」
「それで心が死んだらどう責任とるの?あんたも僕も同体なのに」
「俺は別に、って感じ。いいんじゃないのそうなったらそうなったで」
   ビルを出た。同時に自分の中にあった2つの自分は消えた。冷たい風が吹いている。オマケにここは日陰だ。言い争う2人をよそに、僕は昼飯を食える場所を探した。

  2020年12月某日、少し風の強い日。
  僕は「ADHDのグレーゾーン」というしっくりこない診断(と呼べるかわからないが)を受けた。
結論を言うと、発達障害ではない。分類上、健常者だ。しかし、発達障害の気配が拭いきれない健常者だ。
  限りなく発達障害者に近い健常者、好きな本のタイトルをもじって自分を定義する。その表現では色んな物に失礼だと思い、直ぐに発言撤回するわけになるのだが、わかりやすさでいうと、そういう言葉が一番近い。
  障害であって、障害ではない。そのうえ、保障されない生きづらさと「あなたは枠外です」と突き放されたような感覚。消えた診察料と高額な治療の提案、という名の営業。逃げとも捉えられてしまうんじゃないか、という杞憂。

  「診断」されていればもう少し楽だったのに、と愚かな考えばかり浮かんだ。とにかく言われたことを不服だと思ってしまった。

  診察室を出て、自分よりもそういう傾向があるように見える子を見てしまった。彼はじっとできない様子だった。しかし、ここでは何らそれが目立たなかった。
「彼よりは生きやすい癖に、何を困ってる」
自分の冷淡な部分が自分に言う。そうですよね、と返す。
「あんたいつもそういうけど、それって違うんじゃないの?比べるとか誰々よりとか、そういうんじゃなくて。あの子にも失礼だし」
 優しさの部分が冷淡につかみかかる。

  帰り際、精算の際オプションで「自分はグレーゾーンですので仕事など、ご配慮お願いします」と書いてあるような書類を2部もらった。クリニックへかかった痕跡を残したかった。追加料金が発生したが、いくらか覚えていない。それくらい自分を症状持ちに仕立てあげたかった。生きづらさは冷静さを殺す。

 ミスを連発する言い訳探し、できないことの正当化、怠ける理由探し。恐らく陰で言われてるであろう言葉を自分にも向ける。否定は出来ないし、そのつもりだ。僕は○○です!わかってください!配慮してください!と言えるだけの免罪符が欲しかった。それが当事者の方への冒涜であること、その特性への冒涜であることは少し考えればわかることだが、そういう余裕がなかった。
 こうして今、こんな駄文を記しているのもそういう下心があるからかもしれない。
  でも、生きづらい。それは今の仕事をしているから、だけではなく生まれつきのものなのだろう。
  振り返れば、それで何遍も痛い目を見てきた。

  提出物が出せない。マルチタスクが出来ない。忘れ物が多い。本来であればそれは義務教育の段階で矯正されるのが望ましいのだろう。

  でも、そのまま来てしまった。放っておかれたとも言えるが、僕を育てた大人たちにも色々ある。
  こうしてまた、悪いのは私です、罪を被ろう、みたいなことをする。実際に自分に理由があるのだけれど、改善の仕方がわからない。自分を変えるとか、そういうことをしてこなかったから、そういう指示を貰っても動き方が分からない。
  怒られ謝る。そのやり取りを何億回もやっているけど、目の前のことばかり目的になり、何も学べない。

  何かのせいにしたいけど、実際に悪者はいなかった。親はまともな人だと思うし、自分で言うのも違うかもだが、家族仲はよろしい方。親には当たれないし、当たってもそこに意味は無い。
  結論、自分の顔しか浮かばず、塞ぎこむ。

サポートありがとうございます。未熟者ですが、日々精進して色々な経験を積んでそれを記事に還元してまいります。