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Marcy’s movie garage ファスト映画と僕の思う問題点


 いつもは映画のレビューにとどまっていますが、今回は社会問題になって久しい「ファスト映画」について思うところを記します。


 まず、「ファスト映画」とは、そしてその問題については下記をご参照あれ。

 ざっくりいうと、1本の映画を10分程度に収め、ネタバレまでしてしまう動画を総じて「ファスト映画」といい、それが映画産業を脅かす存在にまでなり、ついには逮捕者が出てしまっているとのこと。

 映画好きの端くれが言うことではないが、このような動画が出てしまったのは、最近の映画の鑑賞方法からして自然の流れなのではないか、とも思う。良い悪いは別として、映画を倍速で視聴する層の出現が最近、指摘されていた。

 映画、ドラマは漫画や小説と違い、制作側の都合で時間が進む。それが受け入れられづらくなっているのかもしれない。

 ファスト映画と倍速視聴、どちらも「はやく、効率よく、わかりやすい」がもてはやされるようになった現代では、必然的に登場した概念とも言っていいかもしれない。

 以下、個人的な意見ですが、ファスト映画、倍速視聴の存在自体が悪いとは思わない。はやく、効率よく、わかりやすい」需要にはそれに対する供給が必要だと思うから。

 ファスト映画の問題点はその存在自体よりも、それがあった場所に問題があると思う。YouTubeで誰でも無料で見られ、しかもそれが映画関係の会社とは無関係な第三者によって投稿されている。しかもその利益がその第三者へ向かっている、というのが問題なのではないか。

 また、ファスト映画を観た人全員が「もう本編は見なくていいや」となるだろうか。極論ですが、もし、ファスト映画を観た人全員が「この映画はもう観ない」となるなら、金曜ロードショーで何度も放映されているジブリ映画の視聴率は極端に下がっているはず。

 いいと思った映画なら、映画館で映画を観たとしても、もう一度観たいと思うはず。最近の例だと、『君の名は。』などがいい例。映画本編よりも粗削りなファスト映画を観て、本編を観たい、起承転結の間を知りたい、と思うことも少なくなかったのではないか。すべての映画が滑らかな起承転結で作られているとは思えない。粗削りな起承転結を観て、気になるから本編を観る層も絶対に存在すると思う。

 問題なのはファスト映画の存在ではなく、それの在り方。著作権の問題、第三者による「ネタばらし」です。例えば、映画会社が過去の作品のファスト映画を作って、それをサブスクリプションで流してみたり、前述したようにあえて粗削りな起承転結を作って本編に誘導したり、とファスト映画を導入口にするやり方がきっとあるはずだと思う。

 加えて僕が問題点だと思うのは「倍速視聴を許さない人」の存在。自分がこだわって観る分には構いません。しかし倍速視聴を否定的にとらえ、それをする人々をディスることは違うのではないかと思う。様々な事情で映画を観る時間が十分にとれない人がいる中で、「映画は指定された速さで見ろ。倍速は言語道断」なんて言うのは個人の自由を踏みにじっているのと同じことで、息苦しいように思う。非常に頑固なラーメン屋が「スープから飲め、麺はこうして食え」というように。それを「おすすめ」程度に言うのならまだいいが、違うやり方を徹底排除する先にはその業界の衰退です。もっともこれは映画界だけに言えることではないが。

 最後、これは僕の直観だと思いますが、ファスト映画を観ただけで映画は語れないはず。倍速ならまだしも、場面そのものが削られている動画で語ることができてしまう映画は存在しないと思いたいし、存在するとすればそれははっきり言って駄作である。

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