見出し画像

「ここではないどこか」はここにあるのかもしれない➀

最近、個人的にイタリアに興味がありイタリアの音楽をよく聴いている。今勢いのあるイタリア出身のバンドと言えばManeskin。彼らの曲に「L’alta dimensione」という曲がある。

英語と比べて類推するに、タイトルは「異次元」だよね!?だよね!?と思ったら、やはりそうらしく。このPVも、日常から異次元に入り込んでしまうストーリー。

そしてイタリアつながりで、アルバムを買い足したりして聴き直しているMau MauというグループのこのPV。「Eldorado」、すなわち黄金郷である。

これを改めて見たとき、「あれ?」と思った。
こちらも日常と幻想的な世界が交互に現れる。
そのくせ、Maneskinの異次元もこの黄金郷も、なんか中世イタリアみたいなヴィジュアルの世界なのである。

異次元どころか自分のところじゃん。

そう思ったのである。詳しくないので自信はないのですが汗、違いますかね?


実はひっかかったのには訳がある。
前にもちょっと似たようなことを考えたことがあり、つながる感じがあったのだ。


-----------------------------------------------------------------------------------


「ここではないどこか」を表現しようとした音楽に、サイケデリックがある。
もちろん先に言っておくが、上述の2曲はサイケではないのは承知している。

さてサイケデリックである。60年代のイギリスが始まりと言っていいのだろうか、ドラッグ体験を音像化しようとした音楽である。
表現のモチーフにはいろいろなものがあるが、重要な要素の1つにインド音楽がある。
インド音楽の影響と言えばジョージ・ハリスンのイメージが強いかもしれない。

しかしThe Kinksの「See my friends」がインド的要素を取り入れた初めての楽曲だという。

ともかくインド出身の移民も数多く住んでいるイギリスの若者である彼らにとって、インドは身近な「イギリスではないどこか」であり、インド的要素によって「ここではないどこか」を表現したのではないかという意見がある。
身近な異国だったということを示すものとして、「See my friends」はインド料理屋で着想を得たという話もある。

異国を「ここではないどこか」のモデルにしたというのは結構興味深い。
アメリカのサイケの代表格The Doorsが、代表曲で南米ブラジルのボサ・ノヴァのドラムパターンを取り入れているのは個人的に象徴的に思える。

アメリカのバンドにとって、インドよりブラジルの方がよほど身近な異国だったのでは?と思うのだ(一応言っておきますが、ボサ・ノヴァはジャズ+サンバが基で、このリズムパターンはジャズのドラムパターンが下敷きになっているんだろうなというのは理解してますよ)。

そしてオランダのガレージパンクのグループ、Jay-Jay’sにもこんな曲が。

R&Bぽいのに急にエスニックに展開。ガムランの金属的な打楽器のような音が入っているのだが、これはインドネシアの音楽ではなかろうか。オランダはインドネシアを植民地にしていた。オランダ人の彼らにとって、身近な異国とはインドネシアだったのでは?と思う。確認出来ていないのだが。

この流れで考えると、「ここではないどこか」は(身近な)異国がモデルになるはずなのだ。その考えに則るなら、冒頭の2バンドの楽曲は異国ではなく自国が表現されていることになり、好奇心をかき立てられないであろうか?

そして過去に思った似たような話。これは日本の話である。


…ここからは次回に。

まだまとめてないのにアップできるのか、おれ!!??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?