見出し画像

2020/04/09

職場でガーゼをもらう。これでマスクを作るように、ということだ。早速グループホームでマスクの作り方を教わる。有難い!

このいまさらの気よわさは何だろう。聖地だろうと俗界だろうと、この世は全て穢土だ、肉体はいずれ蛆に食われるか腐れて土に帰るものだ、と喝破できるだけの境地ではないか。さかしらを一言でおそれいらせるだけの生き方ではないか。(古井由吉『仮往生伝試文』p.50)

遂に古井由吉『仮往生伝試文』を読み始めた。覚えていなかったので読書メーターを見てみたら、この本を三度は通読していることに気づかされた。それだけ読む本は滅多にない。読む前は難解そうな本だなと怖がっていて、実際そう読みやすい本というわけでもないのだけれど、それでも読むと止まらなくなってしまう。死を意識し、それ以上に老いを意識した時にこの本は力強い味方となってくれるだろう、と思わされた。

頭木弘樹さんが #絶望読書 というハッシュタグでTwitterで投稿されていた。私の絶望読書は過去にも書いたが、車谷長吉を読んだことがサヴァイヴするために重要なお守りになっている気がする。『赤目四十八瀧心中未遂』を読み、どん詰まりの生活に身をやつしてギリギリの状況を生き切った人間、そんな方がこちら側に戻ってあんな文学(私小説なので、もちろん現実をノンフィクションとして書いたものではないのだが)を残したということが貴重に感じられる。

車谷長吉編のアンソロジー『文士の意地』、笙野頼子『なにもしてない』、神谷美恵子『生きがいについて』、フランクル『夜と霧』、三浦綾子……そういった本の知識は、もちろん仕事に直接役に立っているというわけではない。日用消耗品を扱うのが私の仕事なのだけれど、それと車谷長吉の文学とはなんの関係もない。だが、タフネスを学んだ。何事にも動じないだけのタフネスを……。

『仮往生伝試文』に話を戻すと、古井由吉は今年亡くなった作家で偉大であることは私も認めるのだが、大江健三郎(この人も日本文学のトップであると思う)のようには熱心に論じられていなかったように思う。論じにくい作家なのだろう。枯淡の境地、老いの悦楽……そんな紋切り型の言葉で論じられているのを読むごとに、自分ならどうこの作家を語るだろうかと考えさせられた。その意味で、全集が出て欲しい作家でもあったが待たなくてはならないようだ。

そうだな……大江健三郎と、そして中上健次を読むのはどうだろうかとも思う。大学を出る時にも私は将来に絶望して(就職が決まらなかったのだった)、そして自殺未遂をした。半年ニートの時期を経たのだけれど、その時に中上健次の全集を読んだのだった。最初から最後まで通読した。私が読んだと胸を張って言えるのは中上健次くらいだ。今ではすっかり忘れてしまったので、また読み返すのも悪くないかなと思う。

いつも、本が傍にあったように思う。高校時代、友だちを作るのを諦めてしんどい思いで学校に通い、家で勉強したり寝ていた時であっても本は傍らにあった。スティーヴ・エリクソンを読み、ポール・オースターを読んだ。大学でも変わらずポール・オースター『ムーン・パレス』を読んだ。四畳半のアパートで、壁に背中をくっつけて体育座りで……実家でも中上を読んだ。精神的に鍛えられた時期だったと思う。だから、どんな逆境が来ても立ち向かえると思う。

英語で日記を書き始めた。Facebookで発表しているのだけれど人から褒められる。有難いことだ。ニーモシネのメモ帳に、英語でメモをつけているのでそれを頼りに書いている。最近はTwitterに書き込む前に、このメモ帳に書いてそれを投稿すべきかどうか考えるクセがついてしまった。有名人や知識人のツイートやニュースに対して、相手が言い返して来ないのをいいことにストレス解消で罵詈雑言を書くことを己に禁じたいと思っているのだった。

糸井重里のツイートが話題を呼んでいる。

賛否両論あるツイートだが、半ばまで私は共感する。私はこのツイートを読んだ時に、池澤夏樹を連想した。彼は3.11に対していち早く発言した知識人だが、「なじらない」と「あおらない」を自分に課した。誰のせいだ、責任を取れ、という言葉を「なじらない」「あおらない」を守り、エレガントに、しかしはっきりと表明した。この未曾有の危機は誰に原因があり、この状況でどう動けばいいのか。それを丹念に考え抜いて、発言したのだった。私はその姿勢に共感を抱く。

だが、池澤夏樹は「責めるな」とは言わなかった。責めたのだ。この危機をもたらした人間は誰で、あるいは今得をしているのは誰なのか。それが知識人というものだろう。「責める」のも「じぶんのこと」だ。それとも糸井は「じぶんのこと」を言ったのだ、と言うだろうか。私はそんな糸井を「責める」ことはしたくない。共感はする。だが、糸井ほどの人がそんな内省的なツイートで満足してしまったことに違和感を覚えた、と「じぶんのこと」として書いておきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?