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檸檬、そして交感 (Correspondance)

日々色づくが実も固くしまりつつあるたったひとつ実った庭の檸檬。
収穫どきがわからず、毎日のように鼻先の距離で眺めていたが、さすがにこの寒さは越せまいと思い、深夜に鋏を持って五感を頼りに暗闇の庭先に出た。
どこからか漏れるテレビの音、給湯室外機の遠雷のような音、寒空に響くかすかな足音、枯れ草の香りを孕んだ山風、鋭くも寒々しい十六夜の月、足元にあるであろう昆虫の屍、自分の五感に呼応するすべてが暗闇の中せまってくる。
そのとき脳裏をよぎったのは、高村光太郎の「レモン哀歌」ではなく、なぜかボードレールの「悪の華」の “Correspondances” (交感) であった。卒業後の進路に悩んでいた大学の授業で、やはり今日のような厳寒の日の、キャンパスの空を舞うビニール袋を、教室の窓からぼんやり眺めつつ、「子供の肉」(chairs d’enfants) とは一体どんな例えなのかと、日本人にはそのような立体的な感情は、理解の域を超えているよと、こっそり講師にウインクしてみたり。もちろんほんの一部しか覚えていない。せっかくだからおさらいしてみた。邦題は「万物照応」ともいうらしい。檸檬のおかげで心の散歩を楽しんだ。

Correspondances (交感)
自然は神殿、そこでは生ける柱たちが
時々ざわめいた言葉を発する。
人はこの何重にもわたってめぐらされた
共感の森の中で自然の一部としての生を生きる。
夜のように光のように広い、
暗い深い、統一のなかで遠くからまじりあう
長い木霊たちと同じく、
におい、色そして音は応えあう。
子供の肉のように爽やかなにおいがある、
オーボエのようにかぐわしいのも、草原のように緑のも、
― 他に、腐敗したのは、豊かでそして勝ち誇っていて、
無限な物の広がりを持ち、
竜涎香、麝香、安息香そしてお香のように、
精神と感覚の激情を歌う。
(C. ボードレール)

La Nature est un temple où de vivants piliers
Laissent parfois sortir de confuses paroles;
L'homme y passe à travers des forêts de symboles
Qui l'observent avec des regards familiers.
Comme de longs échos qui de loin se confondent
Dans une ténébreuse et profonde unité,
Vaste comme la nuit et comme la clarté,
Les parfums, les couleurs et les sons se répondent.
II est des parfums frais comme des chairs d'enfants,
Doux comme les hautbois, verts comme les prairies,
— Et d'autres, corrompus, riches et triomphants,
Ayant l'expansion des choses infinies,
Comme l'ambre, le musc, le benjoin et l'encens,
Qui chantent les transports de l'esprit et des sens.
— Charles Baudelaire

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