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浜昼顔によせる感傷

梅雨が明けた、意外にあっけなく。
夏は世の中のありとあらゆる生物に大海原のうねりのような波動をもたらす。

人間にとっても、美しくおだやかな春や秋の風に触れたときの心の機微とは違うが、もっとベクトルがあらゆる方向に散らばった、且つそれでいて量感のある波が押し寄せてくるのを感じるだろう。地球上の大方の生き物がそうであるように、ヒトにとっても、暑かろうが蒸していようが、やはりそれなりに生態学的には活動期に入るのである。では魂はどうかというと、夏が来たからといって誰でもが陽気になるかというと、おそらくそうではない。

もちろん北欧やシベリアの地に暮らす人々にとっては太陽の光はそれこそ恵みであり、インドのようなモンスーンに曝される土地や、逆に水に乏しい土漠しかないアラブの民が忌避する太陽とは、あれが同じ恒星だとは思えないほどとらわれ方が違うだろう。

では日本はどうか、少なくともこの畿内 (うちつくに) に生まれ育った我々にとっては、色濃くもあり、うだるような暑さもあり、滝のような驟雨も降る夏こそは感傷そのものだと思われる。

人生の活動期には、夏はせっせと働き動き遊ぶものであり、汗をかき、祭りに出て夜更かしをしては性の営みに耽る。しかし衰退期に入って、薄いすりガラスを隔てたようなところから盛夏を眺めてみれば、実は夏ほどに感傷に満ちた季節はないのを感じる。

高浜原発

入道雲に縁取られた青空、
心拍が停まるかと思えるほど冷たい川の水、
むせ返るような草むらの青臭さ、
浜昼顔の這う砂丘、
その向こうに海が見えたときに吸い込む息、
格子戸わきの朝顔やほおずき、
しだれ柳が消えゆく最後の花火、
そのあとの土手のため息、
ちょっと塩素臭いプールの更衣室、
よく冷えた西瓜と蚊取り線香の香り、
海の家の関東炊きのにおい、
山の茶店の握り飯の塩加減、
狐火のようにどこまでも続く夜店のあかり、
日本脳炎の予防接種の痕の痒み、
蝉の声しか聞こえない池の蓮、
風呂屋のフルーツ牛乳、
行くもおろそし戻るもこわしの胆だめし、
墓石の天辺で干物になった雨蛙、
秘かに想いを寄せる人と隣り合わせた軒先の雨宿り、
渚に打ち寄せられて伸びた避妊用具

木津川1

今やもう、そういったセンチメンタリズムとありし日への憧憬を紡いだ仮想世界の夏だけで私は十分で、現実に煌く夏に足を踏み入れる勇気も体力もない。しかし感傷だけで季節を楽しめるようになれるとは、齢 (よわい) を重ねるのもこれまた悪くない。

ところで「イパネマの娘」はそういう心の情景をえがいた歌なのだと思う。

夜店


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