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やりたい事をやり抜くために!Marching School トークイベントvol.6「夢に近づくための名刺の使い方、使い倒し方」【前編】

 2020年10月に “ 鳥取駅前中心市街地の「新しい暮らし」と「新しい働き方」を実現すること “ を目的として設立されたMARCHING.bldg(マーチングビル)。その活動の一環として、鳥取の若手社会人が学んだり、新たな活動をスタートしたりすることを支援する、オンラインプログラム「Marching School 」を開講しています。
 今回は【トークイベントvol.6】として、JR西日本で地域共生に携わりながらも、個人でもオンラインにて「第二のふるさとを探す旅」などを主催する山内菜都海さんをゲストに迎え、彼女のライフワークのあり方などについて伺いました。

はじめに

マーチングビルとは?
株式会社「まるにわ」が鳥取駅前にある遊休不動産、5階建ての空きビルをリノベーションして作ったワーキング・シェアオフィス。「オンラインとオフラインを掛け合わせたコミュニティづくりをすすめる」という理念の下、オンラインプログラム「マーチングスクール」の運営を行う。

マーチングスクールとは?
「面白い人が集まる場所に面白い街がある」というテーマを設け、月に2回、実践者にお話を聞くトークイベントを開催する他、「自分のきっかけを作り」や「マイプロジェクト」をカタチにする「ワークショップ」を不定期で開催中。

私の名刺

山内:こんばんは~初めまして、山内菜都海です。普段はJR西日本不動産開発株式会社からJR西日本に出向して、地域共生をしています。
 そして2枚目の名刺に「こんな感じの活動をしています!」というのを、つらつらと書いています。元々東京の大成建設で9年まちづくりをどっぷりやっていたんですけど、2014年に神戸に移住したくてJRに転職をしました。
 私がライフワークとして行っている神戸の街づくり活動は、一般社団法人(非営利法人)の「リバブルシティ イニシアティブ」、NPOの「Unknown Kobe(アンノウンコウベ)」そしてまだ法人化はしていないけど「UDC078(アーバンデザインセンター神戸)」の3つにおいて活動しています。メンバー全員が副業で、勉強やイベントなどを行っている「ワークデザインラボ」にも所属しています。

山内奈都海、16年の歩み

スタートは「会社を使い倒せ」という先輩の言葉

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後藤太一さん。福岡のまちづくりの第一線で活躍。
福岡がアジアで名の知れるまちとなった礎を気づいたような人。

山内:「名詞を使い倒す」とか「会社を使い倒す」とかは私のオリジナルではなく、師匠がおりましてですね。21歳、就活をしていた時にそういう先輩に出会えました。それがこの人、後藤太一さんです。
 この方が最初に入られた鹿島建設について聞こうと思い、この先輩に連絡したんですよね。すると「この会社で働きたいから、ではなくて自分の、こういう活動がしたいっていう芯があって、それにどういう名刺があったら自分の力を最大限発揮できるか、そういう感じで会社を選びなさい」っておっしゃったんですよね。大企業の看板に巻かれて何かをするっていうよりも、自分がこういう世界を作りたい、こういうことを成し遂げたいからそのためにはどの組織の名刺が一番役に立つのか、そういう考え方をしなさいとおっしゃったんです。
 それを聞いてとりあえずフリーパスみたいな名刺を持つゼネコンに、腰掛3年いようと考えました。なぜなら、ゼネコンって国とか自治体さんがこの街づくりをどう進めていけばいいかわからない、話が表面に出ていないホワってしている時に呼ばれて相談を受けるんですね。そういう意味で結構色んなところに出入りできる名刺だったんです。それが結構居心地が良くて、3年で辞めようと思っていたところ、9年いてしまいました。

東京で9年の修業期間

山内:私はすぐ実践をしたく、学卒で世の中に飛び立つ方を選びました。就活中は、OB訪問は学生の特権だと思って、すごい数の会社を訪問したんですよね。大企業がいいのかアトリエとかそういう小さい所で働くのがいいのか、それともいずれ自分で起業したらいいのか…いろんな選択肢の中で悩みました。
 そして、とりあえず最初の3年は大企業の中で働いてみようと思って大成建設に入りました。元々都市計画とかまちづくり系だったので王道の道だったんですけど、あんまり大企業に染まりたくない、とも思っていました。
 でも3年で一人前になんて全然なれなかったので、気づいたら9年いました。でも、割とハードワークだったので、このままでは自分の志を成し遂げる前にくたびれてしまうという焦りと、実際に地方のまちづくりの現場に身を置きながら、プレイングマネージャーとして働きたいと思い、7年前に東京を飛び出して神戸にきたという‥そんな感じです。

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紆余曲折しながらも芯をもって歩んできた16年間

転機は東日本大震災

山内:転職、移住を決心した転機はやはり、2011年の東日本大震災でした。自分自身も東京都心で一晩帰宅困難者として過ごして、それまで50階建てのビルばかり計画していた私は、もろい都市づくりに加担しているのではないかという罪悪感にさいなまれたんですよね。東京に高層ビルをどんどん増やし、災害時に困る人口過密都市を作るのではなく、強い、持続可能なまちづくりをしたいと思いました。
 そして辞めようと就職活動を経て、瀬戸内も、北陸も、山陰も、多様な沿線地域をもつJR西日本の子会社に入ったんです。

Q.東日本大震災、ターニングポイントがなかったら何をしていたと思いますか?

山内:う~ん。夢から覚めなかったかなあ。心の中ではタワーマンション、タワーオフィスをつくることで人々は幸せになれないって思っているんですけど、気づいて気づかないふりをずっとしていたと思います。いつかは気づいたのかなとは思いますが、東日本大震災やコロナ禍は全世界が衝撃を受けたもので、そこでライフスタイルを転換しても誰も杭はうたないし、もしなかったらもう少し東京にいたのかなと思います。

移住

JR西日本を選んだ理由

山内:移住と転職をしたんですけど、根を張って「ここが私の故郷です」「私がまちづくりにどっぷり関与しているまちです」って誇らしげに言える都市を作りたくて、そのためには東京・大阪・名古屋よりもう少し小さい都市、かつ給料がある程度あるところがいいなあと思っていました。また、名刺もフリーパス的で、配るとどこでも入れてもらえるっていう名刺がいいなと思いながら就職活動をしていました。今いるJR西日本は、国・自治体・民間企業含め、割とどの業種からも、来ないでください、とは言われないところがやっぱりすごくいいなあと思います。

神戸を選んだ理由

山内:神戸って、生きている人がすごい楽しそうなんですよね。縁もゆかりもない神戸にふらっと立ち寄ったんですけど、趣味と仕事が被っている人自分のライフワークとして楽しみながら仕事をしている人が多いと感じました。

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山、海、まちが隣り合わせに隣接する神戸は生きている人が楽しそう!

山内:また、ご自身のライフスタイルを自分で選んで自分で作っている人が神戸には多くて、都市とみられるけど実は農村も沢山あるから、半農半X的に農業しながら仕事をするとか、土日は海で釣りをするとか、お茶をしてラグジュアリーな時間を過ごすとか、ON/OFFの切り替えや、自分の暮らし方を上手にデザインする人が多い気がしたんですよね。それでピンときて私としては合っていたな、と思っています。

神戸での働き方

Q.神戸に移住されて感じた、「地方は余白がある」とか、「自分で作るライフスタイル」とかそのあたりについてもっとお話を聞きたいのですが…

移住前後の「仕事:趣味」の変化

山内:私の理想の仕事とプライベートの割合って、7:3がなんですけど、今絶対7:7くらいに破綻している時もあるんです(笑)。でも神戸で140%稼働しても倒れるほどでもなくて、東京にいた方が圧倒的に疲弊していたんですね。なので今、心の余裕を持ちながら仕事対プライベートのバランスがとれているなって思います。
 でも、大成建設を恨んで辞めたのではなくて、育ててくれてありがとう、と恩に感じています。大企業、大都市で色んな人が面倒をみてくれて、その人の背中を追いかけ猛烈に100mダッシュを繰り返すような日々で、それも自分の成長になりました。一方、地方に来ると背中を追いかけるっていう先輩がいなくなるんですよ。ロールモデルがいないから、「初めてこんな人間が表れた」という様な存在になって、自分が先頭に立って先導したりすると思うんですよね。社会人10年目になってそういう立場になったので自信はありますし、結果をある程度予測して行動することが出来始めているので、20代と30代で働き方を変えたっていうのはとてもいいタイミングだなと思いました。

神戸での入り口、モトマチ大学

山内:そして神戸でマイホームタウンとしてまちづくりをしたいな、と思ったとき、移住したので繋がりがゼロの所からのスタートだったんですよね。なのでとりあえず面白そうな人が学びに来る場をインターネットで探したところ、神戸にモトマチ大学っていうのを見つけまして、そこに足しげく通っていました。代表の村上さんって方が神戸の私の活動の基礎を作ってくださって、この人が会場に来ると「今日誰々が来るから誰々と話すと絶対コラボレーションできるよ!」って紹介してくれるんですね。これがとっても楽しくて、1回参加したら10人、10回参加したら100人、みたいに、参加するたび面白い友達が増えていきました。

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モトマチ大学でのトークセッションの様子(コロナ禍前)

新しい絆が出来たアウトドアライブラリー

山内:移住して1年後の2015年に、「神戸市役所の隣の東遊園地っていう広々とした公園で、アーバンピクニックっていうのをやろうと思っているから一緒にやらない?」って村上さんに声をかけられたんですよ。サラリーマン以外のサブの活動をしたいと思っていたので、二つ返事でやりますって言いました。するとスタッフも全然手が足りていなくて、私はアウトドアライブラリーの企画立上げ人として仕組みを作りました。

山内:このプロジェクトは50人と絆が深まるきっかけとなりました。東京で「まちライブラリー」をやっている礒井さんの仕組みを一部参考にさせて頂き、公園に置く本棚の一コマを5000円で買ってもらう、というプロジェクトをしました。それを買った人は自分で好きなテーマを決めて、例えば「ハゲをはげます本棚を作る」自分はハゲなので(笑)っていうものとか、まじめに「素敵な都市づくり」とか、「料理」、「旅に出たくなる本」とか、それぞれ本棚を作るんですよね。で知人から本を集めたりしていき、50人50コマの本棚ができました。このプロジェクトは移住2年目の時にやりまして、この本棚を1区画買ってくれた方々とは今でも深い繋がりをもっていて、別のプロジェクトで一緒に活動したりもしました。

▼アーバンピクニックの様子(動画引用:アーバンピクニック公式Youtubeチャンネル)

▼当時の様子(神戸のタウン誌-月刊神戸っ子2015年7月号より)

本業とプライベートの奇跡的コラボ、ストリートテーブル

三宮駅前。2020年12月から21年11月まで開催していた。
(画像引用:ストリートテーブル公式HP

山内:これは私のプライベートでの活動と本業が奇跡的なコラボを果たしたプロジェクトです。JR西日本は、三ノ宮駅ビルを建て替えようとしているんですが、コロナ禍その他のせいで着手が遅れているしているんですよね。以前のホテルを解体し、更地になっているんですけど、それではもったいないので、1年間活用してくれる事業者を探していました。するとJRの方から、アーバンピクニックがあまりにも素敵だからその事業者にお願いしてくれないか、と頼まれました。村上さんは社長業と複数のまちづくり系プロジェクトを掛け持ちしていて超絶忙しかったんですけど、「三ノ宮駅前にしょぼいものがきても僕もショックだから、それは寝る時間ゼロになってもやるわ」と言ってやってくれました。

山内:今日は確か、現地に来てくださった参加者さんもいらっしゃいますね、現地の様子がどうだったか伺ってもよろしいですか? 

参加者①: はい。僕は先週行ったんですけど、天気も良い日で最高な空間でした。三ノ宮駅を出てすぐにあって、地元のお店がスカウトされ、月替わりで色んなお店が屋台として出している、という仕組みで、真ん中にステージも設けられていていました。丁度僕が行った時はミュージシャンの方が音楽ライブをされていたり、会社帰りの人とか多様な人が飲んでいるような場所でした。山内さんのお知り合いもたくさんいらっしゃって、聞くところによると長期間やっていくことで、地域の方、新しい人、旅行者とかほんとに色んな人が楽しまれているっておっしゃっていて、美味しかったし、すごくいい空間でした。あと1週間で終わるなんて…(※注:2022年現在は、別の暫定活用プロジェクト「&3パーク」が行われています。)

山内:はい、そうなんです…もったいないですよね。最後は思い出の寄せ書きをして頂いて、みんな寂しい寂しいと言っていて…、でもそれが嬉しいですね。

▼ストリートテーブルHP

五感で感じ、耳を傾け「まちづくり」

Q.まちの規模感は様々だと思いますが、山内さんはどういう風にまちづくりをしていますか?

山内:そうですね~、全然違いますよね。町の規模が同じ150万人の福岡のまちと神戸のまちの解決法も、立地とか、歴史文化にもよって全然ちがうんですよ。そこのまちづくりに適した活動の絶対的な答えというのはなくて、地域に入って身を置いて自分の五感で何が足りないかって耳を傾ける、そういう感じでやっています。

▼後編(山内菜都海の今とこれから)に続く…

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