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鏡の向こう①

「起きて。今日は早めに行動しないと、新幹線乗り遅れちゃうよ」
 彼女の声で目覚めた樹は、首の関節を鳴らしながら枕元の時計を見た。午前5時47分。いつもの起床時間とさほど変わらないはずだが、身体の疲れは幾分にも残っているように感じる。
「ご飯食べよ」
 女性にしては低く、落ち着いた声がする方を見ると、里佳は既に着替えを済ましていた。軽く身体を伸ばし、布団から熊のように立ち上がると樹はキッチンに向かった。袋からパンを二切れ取り出しトースターに放り込みフライパンをコンロに置き火をつけた。フライパンが熱されるまでにトースターのタイマーを二分に設定しフライパンの上にベーコンをひいた。
 里佳はテレビを見始めたらしいが、その内容はベーコンが焼ける音に遮られ樹にはわからなかった。
 ベーコンが焼き上がるとほぼ同時にトースターがパンを上に向かって放出した。大きめの平皿を二つ取り出してトーストとベーコンを盛り付けた樹は、リビングに顔を出し、「スクランブルエッグは?」と聞いた。里佳はテレビ画面を見つめながら頷いた。
 出勤中に新聞を読む樹に対して、里佳は朝のニュースでしか最近の出来事を把握しない。電車内で読書やスマートフォンを見ると気分が悪くなるらしい。
「出来たよ。食べよう」
「ありがとう。いただきます」
 これがいつもの食事前のやり取りである。
「聞いて。今ニュースで子どもが行方不明になった事件の詳細が流れていたんだけど、どうやら遊園地のアトラクション中にいなくなっちゃったんだって。だから従業員が犯人なんじゃないかって。怖いね」
「何のアトラクション?さすがにジェットコースターに乗っていたわけではないよね」
「それはないよ。薄暗い部屋とか鏡が前後左右、天井とか足下まで貼られている道を進んでいく迷路みたいなところだって」
「近頃はそんなアトラクションもあるんだ」
「そうなの。冷たい風が吹くアトラクションもあるし、VRとかのアトラクションも増えているみたい」
「時代を感じるよね。僕らが小さかった頃とはまるで違う」
「お化け屋敷も、歩いて進むのが普通だったものね。今では乗り物で進んでいたり映像を使ったりするとか」
「それは楽しそうだね。次の休日に二人で遊園地に行くかい?」
「行きたいな。どこに行こうかな」
「考えておいて。ごちそうさま」
 樹は平皿を持ってキッチンに向かった。流しに平皿とフライパンを置き、樹は着替えることにした。

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