ユリシーズ 第1挿話 キルケ

アイデア倒れです。これを根拠立てるには戯曲といえども余白が足りない。

普通に読めば、キルケはユリシーズに今まで現れた端役、言い回し、場面、服装、動作、物、場所などをパッチワークすることで、1904年6月16日の、スティーヴンでもブルームでもない、作品「ユリシーズ」の大人の夜を描いたもの、だと思うのですが。

しかし、それは話が逆なのではないか。このキルケ、実はいちばん最初に書かれた挿話、つまり「第1挿話」なんじゃないか。挿話というよりもノート、創作メモがキルケの原型だったんじゃないかという疑惑。あれだけ精緻に伏線や照応を張り巡らせた長大な作品を、創作ノートなしに書くことなど不可能。キルケはジョイスのネタ帳だった。

つまり、テレマコスから太陽神の牛までの膨大な「意識の流れ」から、ブラックホールに吸い込まれるようにキルケに落ち込んでいる「パッチワークの素材」を探すという視点ではなく、キルケの中にある素材が、これまでの作品中に「どう反映されているか」という視点でユリシーズを読むことになる。文字通り「無意識がどうやって意識を生み出していくか」という力動的な読み方になると思うのです。

例をあげると。

ブルームの女性性、マゾヒスティック、権威主義、反宗教という人物像に、さまざまな言葉や動作や物や服装が脇役が蝟集して、ブルームの周りに「意識」を形作っている。

U-Δ15.157
- ブルーム -
(彼は前に目をやり、壁にチョークで夢精という文字と男根の図がなぐり書きしてあるのを見る。)
妙だなあ!モリーがキングズタウンで車の曇りガラスに描いたやつだ。あれは何のつもりだろう。

この「無意識」はここに吹き出している。

U-Δ10.135-136
…豪勢な冬の夜空だったなあ。…ブルームとクリス・キャリナンが車の片側、おれ(レネハン)とやつの女房が反対側だ。…ブルームのほうは、クリス・キャリナンと馭者に空じゅうの星や彗星を指差して教えているんだ。…とうとう彼女(モリー)が遠くのちっぽけな星を指さして、《あれはなんて星なの、ポールディ》と言った。なんと、これにはブルームも返答につまっちまってさ。《あれかい?》とクリス・キャリナンが言う。《あれはただの針先ぽっちっていうやつだよ》ってね。じっさい、それほど的を外れていたわけでもなかった。

U 10.571
And what star is that, Poldy?  says she. By God, she had Bloom cornered. That one, is it? says Chris Callinan, sure that's only what you might call a pinprick. By God, he wasn't far wide of the mark.

鼎訳ではなんのことかわからないけれど、無意識を踏まえていれば、pinprickのmarkは、彼(ブルーム)のすぐ近くにモリーが描いたモノだったとわかる仕掛け。しかも、10挿話の次に来るのはブルームのエロ本屋台漁りという流れるような「意識」。

あるいは。

U-Δ421-424
(片隅から朝の時間が走り出る。金色の髪、華奢なサンダル、…琥珀いろの服を着た昼の時間たちがあとにつづく。…

時間たち
さわってもいいのよ、あたしの。
パートナーたち
さわってもいいの、きみの?
時間たち
ええ、ほんのちょっとだけ!
パートナーたち
うん、ほんのちょっとだけね!

(ゾーイーとスティーヴンは前よりも気楽に体を揺すりながら思い切り回転する。夕暮れの時間たちが大地の長い影のなかから歩み出て、…)

(夜の時間たちが、…陰鬱な音色の鈴の腕輪をしている)

腕輪たち
ヘイホー! ヘイホー!

これは踊っているスティーヴンではなく、ブルームの以下の「意識」にどろりと流れ出る。

U-Δ4.173-174
メイの楽隊がポンキエッリの時間の踊りを演奏したあの慈善舞踏会の翌朝。あれを説明して。朝の時間、昼、それから夕方が来て、それから夜の時間なのさ。彼女は歯を磨いていた。あれが最初の晩だった。ダンスをしている彼女の頭。扇の柄がかたかた鳴って。あのボイランってお金持ちなの?

時を告げる弔鐘、高鳴る暗い鉄。
《ヘイホー! ヘイホー!
 ヘイホー! ヘイホー!
 ヘイホー! ヘイホー!》

ブルームは「無意識」の時の踊りとダンスとヘイホーの暗い音という素材を、モリーとボイランの最初の出会いに結びつけているわけ。

さらに。

U-Δ15.495
ルーディ
(…チョッキのポケットから白い子羊が顔をのぞかせている)

このユリシーズの集合無意識は、ここに顔を出してしまう。

U-Δ3.101
へその緒をぶら下げた堕胎児が血染めのウールにくるみこまれ。

U 3.36-37
A misbirth with a trailing navelcode, hushed in ruddy wool.

これも翻訳ではわからないが、スティーヴンの「意識」に ブルームの死んだ息子「Rudy」がモリーの編んだwoolのシャツを来て産婆の鞄に出現している。

ちなみに、モリーがwoolでRudyの衣装を編んで埋葬したという「意識」は以下にある。

U-Δ14.26(書き写し省略)
U 14.264-270
But sir Leopold was passing grave maugre his word by cause he still had pity of the terrorcausing shrieking of shrill women in their labour and as he was minded of his good lady Marion that had borne him an only manchild which on his eleventh day on live had died and no man of art could save so dark is destiny. And she was wondrous stricken of heart for that evil hap and for his burial did him on a fair corselet of lamb's wool, the flower of the flock, lest he might perish utterly and…

なんてふうに、ユリシーズそのものがキルケから溢れ出た意識の流れであると、そう私は言いたかったんですが、ちょっと無理ゲー。

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