ネタばれ注意 『忘れられた巨人』

『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ 土屋政雄=訳

 前作『わたしを離さないで』までは、一貫して個人の記憶と認識と語りの曖昧さやズレを追求してきたが、今作では共同体や社会、民族、国の記憶を扱っている。

 アーサー王の少し後の時代設定だが、そもそもガウェインが甲冑をつけている時点で時代考証もおかしいので、アーサー王の「物語」を背景にして虚構を強く意識させるイシグロの意図が感じられる。もちろん、竜が出るんだから「寓話です」と言い切っちゃえばそれですむんだけど。

 寓話として「竜はあれ」「島はこれ」「鬼はそれ」と寓意をあてこむのは楽しそうだが(明からさまにケルトとローマ=キリスト教のなんとかとか)、わたしが読んでる最中に気になっていたのは、そんなことではなく、彼らにとって「思い出すことは幸福なのか」の一点だった。

 なので、たとえ憎しみや差別や復讐の念を継承してでも共同体の正しい記憶を子供たちに伝えていくべきなのか、それとも、平和と幸福と平等をもたらすなら忘れてしまうことが正義なのか。
 もちろんイシグロは答えを出さず、アクセル≒アーサー王(の一面)がベアトリス≒グィネヴィア≒湖の乙女とともにアヴァロンに渡ったのか否かも明かされない。

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