『Mank』(2020)

 1940年。交通事故で大腿骨を骨折してベッドの上でしばし寝たきり生活を余儀なくされた43歳の脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツ(『イヴの総て』のマンキーウィッツの実兄)が、ヴィクター・ヴィルの宿付き農場に運ばれてくる。彼は今まさに、大掛かりな仕事に取り掛かる最中だった。90日間で傑作のスクリプトを仕上げること。それを条件に、24歳新進気鋭の演出家オーソン・ウェルズは、彼に創造のさまたげとなるものを一切排除した田舎の宿付き農場と看護師、タイピストを用意したのだ。ハウスマンというウェルズの小間使いが、薬局の陳列棚を丸ごと担いで来たかのような巨大な箱を持ち出して、中に敷き詰められた全て同じラベルの薬瓶を脚本家の前に開陳する。鎮痛剤だ。「ここは地主の方針で、飲酒が禁止されてるんです」。重度の酒飲みであるマンキーウィッツは、しかめっ面でわざとらしい大きなため息をついた。

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 これはデヴィッド・フィンチャーによる「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」なのだ。そう書き始めればいくらかキャッチーだったかもしれない。そう書き始めれば、そこには二重の意味があった。これは確かにフィンチャーが「昔々のハリウッド」の裏側を描いた映画だ。そしてもう一つ、これはタランティーノの某映画のように、映画を使ってフィクションと現実の関係を描いた作品だった。
 フィクションと現実と言ってもそこにもまたいくつかの意味がある。これはまず実話がベースの話だ。ハーマン・マンキーウィッツは、ウェルズの『市民ケーン』の脚本家だった。また『市民ケーン』も、メディア王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにした大富豪の伝記だという疑惑があった。これはそのスキャンダルをめぐる映画である。つまり「マンク」は実話をベースにした映画であるだけでなく、実話をベースにした映画製作、という実話をベースにした映画でさえあった。
 よくしゃべる脚本家が主役の映画だ、一言喋れば縄跳びの達人みたいにそこには二重三重の含みがあって、シーンは自在にぴょんぴょん飛んでいく。田舎の農場に寝たきりのマンキーウィッツは、やがて『市民ケーン』となる脚本を書きながら、その元となったであろうハーストとのささやかな交流の日々をばらばらと思い出す。寝たきりのおじさんの回想シーンがあっちこっちへ飛ぶのは『市民ケーン』へのオマージュか、またはダルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』のパロディか。
 「昔々、ハリウッドで」。キャッチーな書き出しでこれを書きださなかったのは、こんな映画を観た後で、さらにまたメタファーの曲芸縄跳びを繰り広げるなんてうんざりだったからだ。これを書いたのは、デヴィッド・フィンチャーの実父ジャック。2003年に他界した彼の本が映画化されるまで実は20年近くの歳月がかかっていた。

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 天才青年ウェルズは、電話で傑作脚本の機嫌を90日から60日に修正した。それから1ヶ月半、マンクは91ページしか脚本が書けなかった。眠る直前が一番捗るんだと言って、深夜に鎮痛剤を飲んで、気絶するように寝ては昼に目覚めて続きをだらだら書き始める日々。ある日、彼は看護師に鎮痛剤の瓶をワインに詰め替えるように命じる。これは違反行為だが、最後の2週間で300ページ長の脚本を完成させる。回想シーンでは、ハーストが催した宴会の席で泥酔したマンクが床に盛大なゲロを吐いている。ああそうか、これは不器用な脚本家が、酔っ払って自分の本音を吐き出すための難儀だったか。結論。「市民ケーン」の脚本は酔っ払いの戯言だった。しかし、それこそが本音だった。
 フィンチャー作品のほとんど常だが、そこでは俗にまみれ、使命にまみれ、世間の空気と、他人の欲望にまみれて自分を見失った人間が、自分の知らない自分と出会う。「セブン」も、「パニックルーム」も、「ソーシャルネットワーク」も、「ファイトクラブ」も、「ドラゴンタトゥー」も、「マインドハンター」も自分一人では自分の本音に出会えない人間が主役だった。彼の最高傑作は「ゾディアック」だろう。ヒッチコック劇の徹底模倣と、ヒッチコック的捜査システムの破綻こそがフィンチャーの手法。徹底して探したが、犯人はわかりませんでした。むしろわからないやつこそが、犯人というものだと、そういうことがわかりました。それがフィンチャーの映画だった。
 ただ今回、マンクが不器用に最後に出会う自分の中の「犯人」はずいぶん良心的でヒロイック何かだった。そして最後には脚光を浴びた。救いのあるフィンチャー映画というのは、こうもつまらないのかと新鮮な驚きがあった。父親の脚本だからこそ、この結末に至ったのだろうか。

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