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人生の渦にのまれ、川の流れの溜まりにいるようにグルグルと周って流されている今のわたし


そんな日であっても、友と集うと色々と話したい、語りたいことが溢れてくる。そんな3連休の中の一夜だった。

お天気が良ければ、村でテントを張り、新しい寝袋の寝心地を検証できたのに、あいにくの雨。
だからこそ、みんなで一部屋に集まり、言いたいことが言えた。
遠慮せず・・・。
年代や人生経験の差など生きてきた背景が違うから、思うことに違いがあるのは当然。
でも、少なくともそこにいた人はシンプルに私のしようと思うことは応援してくれている。
そんなことが伝わった。

年配の人の意見は概ね「あんたのやろうとしていることは立派やけれど、
無理、無理」
「地元の人が喜んでくれることをやるべき」

てな具合。
まぁ、無理というのは否定できないかもしれないけど
地元の人が喜ぶ
ということこそ無理。
だって、地元の人はわずか200人にも満たない高齢者。
かつてそこに住んでいた人の殆どが村を離れているし、自治体は集落になんの興味もない。
応援どころか、がんばろうとしている私のようなものにいやがらせ攻撃だ。

まぁ、田舎というのはこんなもんなんでしょうね。


さて、やっと表題のお話

「子どもの未来を閉ざしているのは誰か?」


なぜ、こんな表題をつけたのか?というと
友人は障がい者就労に関してのエキスパートであり、
私は発達障害児支援のエキスパート。

子ども時代の生きづらさを大人になっても持ち続けない、
あるいは少しでもその生きづらさを小さくしてあげたい。
そんなことを願い支援をしてきた。
大きな社会課題を未然に防ぐが私の大義名分のひとつ。

でも、やっぱり支援できる子どもの数が少なすぎて
社会で、未来を閉ざされてしまった若者が多くいるのだ。

なんせ、社会が人を育てる環境には適していないのだから
しょうがない。

物と同様 使い物にならなければ、排除。


でも、

子ども時代なら 子どもの未来を拓くのはそんなに難しくない。

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子どもの発達を探求し続けたら、わたし自身ユニークであると気づき、 自分らしさを追求して生きていた。ユニークな私のあたまの中はちょっとみんな…

個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!