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ミライ

私と彼のミライはわからない。
だって来世の軽めの口約束すら
してくれないお役人のようなお堅い彼。

現世のミライなんてもってのほか。

ミライを期待すればするほど心が干からびて
私がミイラになってしまいそうだ。

タイトル絵のようなかわいいミイラなら
いいけれど。

私は、リージョン・オブ・ドゥーム(LEGO)
に加入できるほどの悪かもしれない。
あーあー、悪役だあ。

私は、崖ドンされた身。
思いの外、怖いものはない。
怖いものなしのヴィラン。

勇気を振り絞って、、、
おじいちゃんおばあちゃんになったときに
隣にいたいと伝えてみた。

言う前も言ったあとも心臓はバクバク
ドキドキだ。
こんなではヴィランにはなりきれない。

その問いかけに、
あからさまにNoとは言わない彼。
Yesとも言わない。

むむむ。手強いぞ。

しかし、彼の頭の片隅で
おじいちゃんとおばあちゃんになったとき
一緒にいるふたりを妄想したことが
あるらしい。
あの彼が!
モヤモヤっと想像したらしい。
あの彼が!

それを知ったときはなんだか嬉しかった。
彼の妄想の中でも嬉しかった。

崖ドン事例は時々あるけど、
連絡すらない日もあるけど、
超ストレートな愛の言葉なんて
頻繁にはないけれど、
それでも望むミライが来たら…と、
妄想をするだけで私の心は心地よくなる。

ミイラでなくなるミライがあるかも。
と。

前にも記したが、私は彼と出会い、
彼のことで思い悩み、絶望を経て、
祈りの素晴らしさを知った。

私は、毎晩自宅のベランダで祈る。

晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、
雪の日も、雷の日も、どんな日も祈る。

彼のこと。
子どものこと。

家族のこと。
私の友人のこと。

子どもを取り巻く環境のこと。
子どものおともだちのこと。

彼の家族のこと。

私を取り巻く人々のこと。
彼を取り巻く人々のこと。

全ての人が笑顔で、心地よく、楽しみながら
前向きに生きれますように。
と。

祈りとは尊いものである。
自分の心も救われる。

そして、
彼と私とミライについても。
感謝の祈りを捧げる。

出会えたことに感謝。
好きと言ってくれたことに感謝。
一緒に過ごせる時間に感謝。
大切にしてくれることに感謝。
そして、ミライに続く感謝。

祈りを捧げていると、
ふと不思議な感覚に陥る。

全てがうまくいき、
彼と結ばれるミライが想像でき、
ウフフとなる。
なんて幸せな脳ミソだ。お花畑だ。

とうとう私を選んでくれたのか。
誰も傷つけずに、結ばれたのか。
あらら、こんなこともあるのか。

と、ニヤニヤな妄想が止まらない。

時々、こんな幸せで申し訳ないなぁ。
『エヘヘ』という声まで漏れ出てしまう。

うん、夜のベランダで。
確実にヤバイ系の怖い系になっている。
自分でもハッとなり、
ヤバッとツッコミをいれたくなるくらいだ。

そもそも私は、ほんとにコボケた平和な
脳ミソの持ち主である。
脳内お花畑だ。

ボケボケ平和なお花畑脳では、
リージョン・オブ・ドゥームには
入れそうにもない。

ヴィラン側も来てもらっても困るだろう。
そーゆーヤバイ系怖い系の人はちょっと…。
ちょっとね…。また別の機会にね…。
今回はご縁がなかっということで…。
と、ヴィラン側から丁寧にお断りを
申し出されそうな、
微妙な空気になりかねない。

ヴィランにもなりそこねたような
私と、彼とのミライはわからないが、
おじいちゃんおばあちゃんになるまで
なんだかんだ言いながらも一緒にいられると
いいなぁと願ってしまう。

彼は偏屈じいさんになるそうだ。
偏屈じいさんだから一緒いても
楽しくないですよ。と言うが、

私はきっぱりNo!と答えた。

どんな偏屈でも私は楽しめますよ。と。

むかーしから、No!は言える方の日本人
である。

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