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夏野菜

 大学の授業が終わり、私は夕暮れの空の下を歩いていた。晩御飯用に何かを買わなくては、と思いながらいつもの友人の下宿の近くに出ている無人販売所でトマトときゅうりを買った。出盛りのものはどれも100円であった。私は友人の所へ立ち寄ることにした。

 ビニール袋をさげ、多分暑さのあまりぼーっとした顔をした私を見て「ちょっと外に出ようか」とドアを開けるなり友人が言った。
 彼女も就職活動に疲れて、少し煮詰まっていたらしい。家にいたくない気分は私にもあった。私たちはオレンジ色に染まりつつある空を見ながら公園の方へ向かった。

自分より他人の方を優先するほうだ
はい
いいえ
どちらともいえない

 ゆうべ会社から送られてきた大量の質問にすぐに答えなくてはと思い、すぐにお風呂から出て答え始めたのだが、終わる頃には、すっかり髪の毛は冷えきっていた。
 似たような質問もたくさんあり、頭がおかしくなりそうだ。けれども内定を取るため少しでも伝わるよう気をつけて回答を続けた。

 日暮れとともに私たちの影はごく長くなり、まるで自分の中身がすっかり流れ出したように見える。私たちはベンチに座り、自分たちの影の上を横切る蟻を眺めていた。自分が何なのかわからず、それゆえに就職が決まらないのかもしれない。魂が何とか自分の体の中に収まっていると感じていた。誰かと喋っていなければ落ち着かない。自分が空白に思える。蟻の方がよっぽど落ち着いている。

 私はガサガサとビニール袋の音を立てながら現状報告をしたり、彼女の近況を聞いた。蟻はその間も着々と移動し続けている。彼らはもう家に帰るところらしかった。
 空もどす黒く変化し始め、私たちは蟻もいなくなった公園から立ち上がり、友人のうちに入った。

 私は野菜を切ることにした。スープストックを入れ、水をほんの少量鍋に注ぐ。豚肉も入れた。トマトは湯むきする。適当な大きさに切る。その他いろいろな野菜を入れる。とにかくトマトが入っていれば間違いない。乾燥した月桂樹の葉をのせて蓋をする。後は野菜から水分が出て、トマトが形を失うのを待つのだ。

 私たちはくつくつと鍋が立つように、台所に立ち小さな声でいつまでも話をした。彼女はきゅうりがあまりにも曲がっているので、声をたてて笑った。「なんだか久しぶりに笑った」と言いながら包丁を使っている。彼女のやり方はとても丁寧で、こんなに丁寧にサラダを作る人ならば、就職のほうも大丈夫だろうと私は思った。

 私は小さい頃家の斜め向かいにあった蔵の話をした。さびついた扉も半ば崩れかけた石の階段も、当時のお気に入りの場所だった。そこではてんとう虫やバッタや蝶を見つけることができたし、へびいちごもシロツメクサもあった。私はすっかり時間を忘れてしゃべり、トマトはすっかり原形を失った。
 私たちは無言で食べた。夏の野菜には勢いがある。私たちはそれを体の中に取り込んだ。


#夏野菜
#小説
#就職活動

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