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 まだ自分が実家で暮らしていたとき、家の前には桜並木があって、季節になると毎晩のように宴会が始まった。そのために夜も眠れない。聞きたくないのに大きな歌声や、騒がしい物音がざわざわと耳元に押し寄せてくる。私は窓をぴたりと閉めた。そして毛布と布団をかぶった。枕も上から頭に乗せた。それでも音は聞こえてくる。

 ある晩私は布団から飛び出すと、パジャマの上からコートをはおり、外へ出て行った。

 その日は特にたくさん来ているようだった。誰も座っていない桜の木を探した。はずれのほうに一本だけ、花があまり咲いていない木があった。私はその下に座った。

 座ってもすることがない。眠くもならない。近くで飲み物を買ってこようと腰を浮かせると、小さい白い顔が目に入った。カマキリかなと顔を近づけてみると、それは黄色っぽい細い手足をぶらんぶらんさせながら、ようやく開き始めた蕾の中に座っている小人だった。

 「妖精?」と私が聞くと、「そうだよ」とそれは答えた。「桜の花には必ず妖精が座っているんだよ」と小人は説明した。
 私は飲み物を買いに行くのをやめて妖精を観察した。確かに他の桜の花にも小さな顔が見えた。いろんな顔をしたものが無数に花の中で揺れていて、私はお酒を飲んでもいないのに吐きそうになった。
「よく見ると気持ちが悪い」と私は蕾に座っている妖精に言った。
「失礼なこと言うなよ」と妖精は手を振り回して怒った。そのうちに妖精たちは花がひらひらと舞うのに乗っかって、同じくひらひらと落ちていった。私はそれを見て、地面に落ちたらどうするんだろう、とつぶやいた。

 「地面に落ちたら、死んでしまうんだよ」と蕾に座る妖精は言った。そこで地面の上を見てみると、そこには花と一緒に踏みしだかれ、ぺちゃんこになった妖精の姿があった。

 私は挨拶もせずに立ち上がると走り出した。こんなところに座ってはいられない。死体は1秒ごとに増えていった。道の上に山盛りになり、下が見えないほどにどこもかしこも妖精の死体だらけだ。月は丸く光り、昼間のように道は明るい。

 私は酔っ払いや、よくはわからないがたぶん妖精なども蹴散らしながら全速力で家まで戻った。そしてコートを脱ぐとすぐさま布団に入った。

 次の朝目が覚めるとひどい雨で、桜の花は暗い色をした道路にへばりついていた。どうやら全部散ってしまったようだった。私は布団をかぶり、もう一度眠りについた。

#桜
#小説
#妖精

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