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京都嵯峨野紀行①

昨日、佛教大学ミュージアムの企画展『ほとけのドレスコード』を観に行ったんですが、
いざ、電車に乗ったはいいものの、どこにあるのか知らずに向かってて、調べたら嵐山の手前の方だったので、

「うわぁ面倒なところにあるなぁ」

と思いながら行ったんですが、

なんだここ….行きづら….


逆に言うと、何か用事がないと行かないところでして。
この際周辺をぶらりするいい機会と思ったわけです。

行き方よくわからないけど、東西線の太秦天神川駅まで電車で来て、そこからとことこ歩いて行くことにしました。
美しい弥勒菩薩半跏思惟像で有名な広隆寺の前を通り、『帷子ノ辻』を通り過ぎて、広沢池の近くにある佛教大学ミュージアムに辿り着きました。

仏像の装いについてのマニアックな企画展

展示はとても面白かったのですが、今回は割愛。

観終わった後、ミュージアムから西に進むと、『六道の辻』があり、右折すると『大覚寺嵯峨御所』

何故ここに六道の辻が….?
大覚寺….??何の寺だ?

まっすぐ行くと『清涼寺』があります。

六道の辻と言えば、私の中では六波羅。
あの付近が六道の辻だったような…と考えてしまって。なぜここに?と疑問に思った。

※六道とは、輪廻転生する6種類の世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のこと。
※辻とは道路の交わるところ
※六道の辻とは所謂、死んだ後輪廻転生するときの分かれ道ってことだと考える

「大覚寺??嵯峨御所?こんなところにこんな大きい寺院あったんだ….??」

と思いながら、何の知識もないので、今回はいいや。と思い、まっすぐ進み、清涼寺の方面へ行きました。

清涼寺は一度行ったことがあり、
その時は「清涼寺は嵯峨源氏の源融(源氏物語の光源氏のモデルとされる人物)の別荘地だし、行かねば!」と思って過去に訪れたことがありました。
※清和源氏巡りがマイブームだった時です

「清涼寺久々だなー」

と思いながら境内見て回ってたんですが、西門付近の一角に
『生の六道 小野篁旧跡』って書いてある石碑があり、何の説明板もなかったので、

「え?小野篁?なんでここに?」

と思ってました。

なんやこれ…


小野篁というと平安時代に昼には宮中仕え、夜になると冥界へ行き、閻魔様の元で働くというダブルワーク伝説のある人物で、
六波羅にある六道珍皇寺に篁が冥界に行くために使ってた井戸の入口があるのは知ってたんです。

ここに小野篁の史跡があるのが意外で「何で?」と思ってたんですが、どうやら、
冥界への出口がここに繋がっているという伝説だそうです。
入口と出口は別場所なんですね。めっちゃ不便やん…小野篁の家がどこにあるのか、いや、むしろ家あるんですか?って感じの休む暇もないブラックワーカーな気がするんですが。

清涼寺からさらに西の方へ歩いていくと
『中院山荘跡』
下野国の豪族 宇都宮頼綱が政争に巻き込まれるのを避けて出家した後に営んだ山荘との説明書き。

宇都宮頼綱名前なんか知ってるぞ

宇都宮頼綱と言えば
五木寛之著 「親鸞」
浄土真宗開祖の親鸞上人の人生を辿る小説の中に出てきた人物として、私の頭のデータベースに引っかかりました。

※親鸞さんの生涯のあらましを言うと、比叡山で修行していた際、何やかんやで、法然(浄土宗開祖)の弟子となったが、宗教弾圧に遭い、越前国に流罪。許された後に関東へ下向し滞在。滞在中に宇都宮頼綱の領地に滞在しており、色々お世話になったであろうか。その後京都に戻り、そこで生涯を終える。

て感じなんですが、
「えっあの宇都宮頼綱!?」
Wikipedia見ると鎌倉殿でやってる《牧氏の乱》に巻き込まれたっぽいな。

なんやかんやで、出家してこの嵯峨野に移り住んでいたらしい。
藤原定家とも親交があり、この嵯峨野は風流人のサロンみたいな感じだったのかな。

いつの時代でも風流人は人里離れたところでサロンを開くもんだ。

ふーん。と思いつつ進む。

少し言った先に二尊院というお寺がありました。
観光客もわりと多く、ふらふらと適当に何も考えず、拝観料500円払って入ったんですが、ここが何のお寺なのかわかりません。
無知識状態です。

何の寺なの?意外と人多い…

Googleマップで『小倉餡発祥の地』のポイントが境内にあるようだったので探してみよ。と思いながら入ることにする。

小倉餡発祥の地…餡子好きなら行かねばならぬ

二尊院は
二尊→釈迦如来と阿弥陀如来を御祀りする嵯峨天皇の勅願寺院で、法然上人もここに住んで説法を説いたのだとか。

本堂
応仁の乱….ここもか….!!

紅葉が綺麗だな〜と思いながら見てたら

花頭窓から紅葉

小倉山ってよく和歌で詠まれてる場所だよね!
ここか!

おぐらやまぁぁああ

九州に住んでると、歴史の舞台が身近にないので、授業で習って地名だけ知ってるところが多くあり、そこは存在するのかしないのかフワフワしてるんです。
本当にこの地名あったのか!!
ってだけでめっちゃ感動する地方民なんですわ。
小倉山ってちゃんとあったんや…

『田子の浦』とか『みかの原』とか『高砂』とか『須磨』とか『逢坂の関』とか
言葉だけ知ってる場所に行くたびに、超絶感動してしまってました。
ちゃんと現存するんですね…

境内をとことこ歩いていると
角倉了以の銅像と墓道

え….おれ….この名前知ってる…
だれだっけ

聞いたことある。
何した人だったっけ…

書いても書いても全然終わらん(笑)

その②に続きます。

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