システムと個体性

とある平日の昼間、仕事を休んでスーパー銭湯に行った。
はじめてきちんと交互浴というものをしたのだけれど、サウナで蒸したり、水風呂で冷ましたりを繰り返していると、自分の体がまるで調理中の鶏肉みたいに思えてきて愉快だった。
浴室にある無数の肉体はこんなにも無防備で、精肉コーナーを眺めている気分になるのに、外に出れば服だけでなく仕事や家庭内での役割も纏うのかと思うと、なんだか不思議だ。

そのあと、コロナウィルスのワクチン接種に行ってきた。
大手町の大規模接種センターで受けたのだけれど、まるでRPGのルートのようだな、という印象を受けた。というのも、導線がしっかり決められているのにくわえて、至るところにスタッフが立っていて、正規のルートを1mmでも見失わないようにがっちりサポートされていたからだ。
とてもシステマチックで、少し気を抜くと、まるでセンターを構成する工程の一部のように思えてしまう。それでも私は、随所に立つ案内担当のスタッフにも、看護師や医師にも、それぞれに今まで生きてきた人生と家族と毎日の生活があることを忘れたくないな、と強く思った。だから、出来るかぎり「ありがとうございます」とお礼を言いながら導線を進んでいったのだった。

制服を着せられたり、服を脱いだりすれば、とたんに個性がなくなってしなう私たちだけれど、でも1人ひとり歩んできた人生も持っている価値観も違う。その「違い」をきちんと意識しながら生活したいなと思った1日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?