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「誕生日おめでとう」をこじらせた

先日、誕生日を迎えた。
その日はたまたま職場の朝礼の時間に出社する用事があったので(朝礼してるのは他の職種なので、普段はもう少し遅い時間に着いてる)、朝礼のついでに誕生日を同じ部署の人たちから一斉に祝われてしまった。そのこと自体は有難いのだけれど、「誕生日おめでとう」という言葉になんだか引っ掛かりを覚えてしまった。

そもそも、「誕生日おめでとう」って言葉は、何を祝っているんだろう。

この世に生を受けたことを祝っているなら、生まれてから何十年経っても「おめでとう」と言うのは違和感があるし、そもそも産まれた側じゃなく産んだ母親に言ってほしい。
無事に1年間生きたことを祝すのなら、そもそも祝うのではなく「お疲れさま」のほうがしっくりくるんじゃ……? 「○年間も生きてきたんだね、お疲れさま」と言われるのは私は嬉しいけれど、大往生した人のお葬式みたいだなとも思う。
ということは、私が自分の誕生日に他人に求めていることって、生前葬なのかもしれない。

逆に、自分が友人の誕生日を祝うときはどんな感情なのかを考えてみた。
「大好きなあなたが存在して、私と出会ってくれたことが嬉しい」という好意。
「私と一緒にいてくれてありがとう」という感謝。
「これからの人生もあなたに幸せが降り注ぎますように」という祈り。
もちろん、この3つすべての感情を向ける相手は限られているけれど、こうして書き出すとたしかに祝福の言葉を贈ることが、誕生日の人に対する振る舞いとして正しい気がする。

結局どんな言葉を発したら適切か、という答えはまだ出てない。結局、「おめでとう」に込めたい感情をぜんぶ言葉にするしかないのかもしれない。
けれど、年末に推してるアイドルの、アイドルとして4度目の誕生日があるので、それまでにじっくり答えが出せたらいいなと思う。

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