かたくてすっぱくておいしい
朝、カーテンを開けて娘が感嘆の声をあげた。
「ママ!いっぱい赤くなってる!5個だよ!5個赤くなってる!!」
語尾にいっぱいビックリマークをつけながら、娘は興奮しながら小さな庭を指差す。
まだ言葉を理解できていない息子も、娘の興奮ぶりが気になるのか隣に潜り込んで外を眺めようとしている。
今夏何度かはすでに収穫しているトマト。それでも娘は毎回興奮してくれる。
自分で植えたトマト。
水やりを手伝ったトマト。
カーテンを開ければそこで、少しずつ赤みを増していくトマト。
彼女にとって、トマトを食べることはもとより、少しずつ身が膨らんだり赤みが増す、成長そのものが楽しみらしい。
初めて野菜を育てたのは、娘が生まれた年だった。
田舎生まれなので畑は珍しくもなかったし、父方も母方も祖父母は自分の家用の畑を持っていた。
わたしは季節ごとの野菜や果物を、色も形もイマイチなのになぜか美味しいそれを、毎年楽しみにしていた。
家で取れる作物は、スーパーで買うよりも太陽の味がする気がして、特別だった。
とはいえ、自分で育てようとは全く考えたこともなかったのだけれど。
娘が赤ちゃんの頃、わたしはクサっていた。
産後うつのマガジンを作っている通り、産後うつだったので、しばしば娘のことを敵のように感じていた。
そして、そんなことを感じてしまう自分にうんざりして、恐ろしくも感じて、毎日疲弊していた。
きっかけは簡単なことで、支援センターに通うママさんが「家庭菜園が趣味」と言っていたことだった。
他のママさんのキラキラした姿にも疲れていたわたしは、家でできる趣味が欲しかった。
ちょうどその時に住んでいたマンションの西日がひどく、グリーンカーテンのつもりでゴーヤときゅうりに手を出したのだった。
初年度の成果は散々たるもので、きゅうりはエカキムシにやられて成長せず。
ゴーヤは成長したものの、実は一つもならず。
失敗して初めて育て方を調べてみると、プランターのサイズから植え方までめちゃくちゃだったことがわかった。
こうして、わたしのベランダ野菜生活が始まったのだった。
あれから4年。5回目の夏が来た。
まだまだ下手だし、これまで収穫して食卓に並んだ野菜は微々たるもの。
けれど、あの頃は赤ちゃんだった娘が、今は一緒に苗を植えたり水をあげてくれたりする。
野菜たちの成長を喜び、応援の歌を聞かせてあげてくれたりする。
それはわたしが子ども等を抱っこしながら聞かせる子守唄にも似ている気がする。
とれたトマトを夕食に並べた。
「おいしい?どんな味?」問うわたしに、娘は答える。
「ちょっとすっぱくてねえ、かたい!」それから「おいしいよ」と付け加えた。
まだまだ、半人前にも満たないわたしのベランダ野菜。
もう赤ちゃんではなくて、けれども赤ちゃんの名残が見え隠れする娘。
たった1年で、体重3倍、身長1.5倍に成長した息子。
子ども達が好きでたまらないのに、ヒリヒリしてしまうわたしの母性。
青かったり、硬かったり、酸っぱかったり。それでもちゃんとおいしくできている。
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