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ヨーロッパ珍道中 最終話 バチカン編

2010.12.20

今日は8時起きでバチカン市国へ行く。
行きは電車で行ったが、なかなか人が多くて驚いた。

まずは、バチカン美術館へ。
入り口を見つけるのに苦労したが、無事に到着。
出入口付近の二重螺旋階段がかなり印象的であった。
しかし、この美術館の凄さは、何よりもシスティーナ礼拝堂であると思う。
礼拝堂内もすごい人だった。当時は、入室中の時間制限みたいなものがあったので、あまりゆっくり見られなかったが、それでもミケランジェロの最後の審判の迫力は凄いなぁと思った。

豪華な通路。
アテナイの学堂。教科書でよく見たやつや。

アテナイの学堂やアダムの創造など、有名な絵がたくさん見れたので良い時間が過ごせた。また、なぜかエジプトのミイラも展示されていて、エジプト好きの私はかなり嬉しかった。

バチカンでミイラが見れるとは。

そして、とりあえず、ミケランジェロとラファエロは凄い‼︎というありがちな感想が残った。


その後、美術館近くのカフェでランチを頂き、サン・ピエトロ大聖堂へ向かう。

来ました、バチカン!
広場もなんだか厳かな感じです。

教会自体は、群を抜いてどの教会よりも大きくて広くて壮大であった。
とりあえず、教会内でミケランジェロのピエタ像を近くで見れて感動した。

あの、有名な…。布の表現がすごい!

その後、広場と道路の境界で、国境を越える遊びをして楽しんだ。国の中に別の国が入っている、というのはなんだか不思議な感覚である。

そこから歩いてどこに行くか考えていたらポポロ広場に着いた。
座って休んでいたら、移民風の男の人が近づいてきてバラの花を渡してきたので、怪しさ満点にも関わらずつい受け取ってしまった。すると男性は、Some money!と迫ってきた。予想通りの展開である。
困っていると、路地から60歳ぐらいの身なりの良い紳士がやってきて、男性に話をつけて助けてくれた。彼が価格交渉をし、いくらかお金を払って、私たちにバラをプレゼントする形となった。

かっこよすぎる!

その後、その紳士としばらく雑談した。
英語だったので大体ではあるが、彼は大学かなにかの教授のようだ。彼女がいるようで写真を見せながら彼女の自慢をされた。彼女は可愛いくて頭が良くて、紳士は彼女にメロメロらしい。
写真の彼女はどう見ても20代前半の可愛い感じのアジア人だった。なかなかの年の差ではあるが、そこは愛の国イタリア、年齢差なんて野暮な話なのだろう。

しばらく雑談を楽しみ、紳士にお礼を言って別れた。

私達はショッピングやカフェで時間を潰して、7時過ぎにピザ屋へ向かった。
ナボーナ広場の近くの、ダ・フランチェスコという店だ。ローマピザの有名店である。
ローマピザはナポリと違い、生地が薄くてパリパリしている。私はナポリピザも好きだが、実はローマピザの方が食べやすくて好きだ。

ローマのピザも最高‼︎

私はマルゲリータを注文したが、飽きない味でさらりと完食できた。
店員さんもフレンドリーでピザも最高で、最高の夕食を頂けた。


明日は日本に帰国する。
ヨーロッパの旅の最後の夜はそんな感じでゆるく過ぎていった。
明日の夜は日本に向けた飛行機の中だなんて、なんだか変な感じだ。

海外でも、変な人も可哀想な人も、優しい人もたくさんいて、そうやっていろんな国が、地球が回っているんだなと実感した。
旅で出会ったすべての人と、一緒に旅をしてくれたモナに感謝したいと思う。
そして、今これを読んでくれている皆さんにも。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

あとがきみたいなもの。


あの旅から10年以上が経ち、モナも私も幸いな事に仕事や家庭を持ち、いい意味でも悪い意味でもあの頃の自由な私たちではない。
あの頃、あの時にしか出来ないことをやったのだなぁと思う。

今考えると、この旅は今の私を創っているなと感じることが多い。
ふとした瞬間に、灰色のフランスの空や、オレンジ色の街灯のバレンシア、どこに続くかわからないベネチアの小道や、フィレンツェの街並みを、空気を、思い出す。多分、これから先も、ふと思い出したりするんだろう。

私は偏屈で付き合いの悪い人間なので、こんな私と旅をしてくれたモナには心から感謝している。
生活スタイルが変わり、沢山いたはずの昔の友達ともどんどん疎遠になっていく中、モナとは今も変わらない関係だ。そういう友人が人生に1人でもいてくれたら、幸せな事だと思う。


自己満足かもしれないが、ずっと書こうと思ってかけていなかった10年以上前の旅行記が書けて良かった。


引き続き記事は書いていきたいなと思うので、
今後ともよろしくお願い致します(^^)
ありがとうございました。

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