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「あんまさんにはなりたくない!」

小学一年生の忘れられない出来事。
盲学校への転校を勧められた母は迷っていたようです。
私が住んでいる市から盲学校までは、バスと電車、そしてまたバスに乗って1時間半はかかりました。なので私の市の人たちは寄宿舎を利用している人が殆どでした。
盲学校は暗い所じゃないし、同じ障害を持つもの同士理解し合いながら学べる場所。
先生からそう言われたものの、小学一年生から寄宿舎に入れ、週末しか帰ってこないのは忍びない。だからといって運転免許を持たない母が幼い妹を連れて毎日送り迎えするなんてできない。

迷った母が担任の先生に相談したところ、「今のところ{私に〕特別手がかかるわけではないので、もう少し学年が進んで困ったことがあったときにまた考えてはどうか?」と意見をもらったそうです。
母にしてみれば、不安はあったものの、とりあえず小さな子供を親元から手放さなくて済んだことにホッとしたことと思います。

そしてこのことを近所に住むおばあさんと長男にあたる伯父さんに話し、もう一人の伯父さんのところに行った時、私の中で一生忘れられないことが起こりました。

六月の曇った日の夕方、仕立て屋をしていた伯父さんの仕事場で母と伯父さん、伯母さんが話していました。
梅雨入りしていたのか、空は今にも雨が降り出しそう。国道に面したお店兼仕事場は、スチームアイロンの湯気とミシンの油、沢山の布地の独特のにおいがしていました。
一通り母の話を聞いて、伯父さんは私の方を向いて言いました。
「小学校一年生から盲学校には行かない方がいいぞ。盲学校に行ったら一年生からあんまさんになる勉強をしなくちゃならないんだから。」
衝撃でした。
盲学校とはそんなところなのか?
私の脳裏には白衣を着て黒いサングラスをかけ、白い杖を持って歩いている男の人が浮かんでは消えていきました。
強く強く心に刻まれた言葉。
そして私は
「私はあんまさんにはなりたくない!」
と強く強く思いました。
そして進路や職業を選ぶ上でいつも悩んでいくことになったのです。

誤解のないように記しておきますが、盲学校では小学校から高校まで普通学校に準ずる教育を行なっていて、あんまマッサージ指圧、はり、きゅうの免許取得は専攻科が置かれて資格取得のための勉強をしています。

戦争中に破傷風に罹り、片方の足が不自由だった伯父は素直な人ではありませんでした。だから「家にいてみんなと一緒に学校に通えてよかったね。」と他の大人のように素直にいえなかったのかもしれません。
私にとっては「自分は目が見えない」と知らされた人生初の大きな出来事でした。

お写真お借りしました
八雲町@やっさん さん
とても温かい雰囲気です。
こんな施術室を目指したい…


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