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「お金にならないこと」に真剣~私の原動力~

私は、お金を扱うのがとても苦手だ。

算数や数学なんて
もちろん苦手分野である。

なぜか昔から
現金を扱う仕事をあまりしたことが無い

そういう仕事をしても
ストレスで吐いたり
行けなくなってしまって
1週間続くか続かないか…


そんな私は周りからよく

「金にならないことには真剣だよね」

と言われて過ごした


言い出すとキリがないのだが

小学生から
学級代表や委員会の副委員長

中学では、荒れていたはずなのに
議長、学級代表、更には自分も時々サボっているのに
当時不登校だったクラスメイトに
当時はPCから、メールを送ったり
プリント類を帰りに持って行って
自分のことは棚に上げて
(当時は棚に上げている気はなかった)

「学校来てよ!待ってるからね!」

なんてよく言っていたもんだ

高校では
生徒会執行部、書記、書記長と
ほぼ学校の雑用を授業をサボってまで
溜息をつきながら
あーでもないこーでもないとやっていた

特に印象的なのは
私が尊敬している先輩たちが卒業して
生徒会に後輩が入ってきてからだ

「カラオケ行く人!」と場の空気を
見事に凍らせて
当時は、この子達、メンバーと仲良くなる気がないだと?!なんてこった。と絶望的になっていた

そんな時
勝手にチームワークが少しでも良くなるよう
「生徒会通信」というものを行事ごとに
こまめに書いて読んでもらっていた…

きっと私は
後輩たちから

怖くて厳しくて冷たい先輩

と思われているに違いない…と卒業してから

月日は流れ
成人してしばらく経った時に
絶対私のことが嫌いであろう後輩から
飲み会の誘いが来る

いざ飲み会に行ってみると
私が絶望的に思っていたのとは対照的に
温かい言葉をかけてもらえて
やっと、頑張って良かったと安心したのである

私の青春時代はそういう事に
身を捧げたお話がてんこ盛りなのだ


さて、前置きがだいぶ長くなったが

私のお金に対する感覚はこんな感じだった


短大を卒業してからも
体調と相談しながら
子育てサロンのボランティアに行ったり
お祭りの手伝いをしたり
町内会の盆踊りの太鼓を叩いたりしていた

夢を叶えたのは極々最近のことで

「子どもと関わる仕事」に就いたが
もちろん給料以外、現金は扱わない

その夢だった仕事をしても
体調は落ち着かない日々だった

もちろんたくさん楽しみはあった


その当時
私と同年代の人はみんな

正社員として
ちゃんと働いていた

そこに私はかなりの劣等感や焦りがあって空回りしていた


何故、私は皆と同じく
「普通」に働けないのだろう


そんな事を思いながらも
夢を叶えた手前
給料が、固定給ではなく
時給でもなんとかやってこれた

環境に恵まれていることはもちろん
何に対しても
あまりお金をかけない自分の性格上
最低限の給料があれば
問題なく生活できた


そんな私が色んな自己嫌悪の中
やっと夢を叶えて
子どもと関わっていく仕事をしている中で
自分の中で何が一番の原動力なのか
考えていく日々を過ごす


嫌な仕事ではない
でも、体調は定期的に
キャパオーバーになると崩れていく

自分の思う
子どもたちへの向き合い方も分かってきて

発見と成長の日々を送っていた



しかし、給料明細を見ても
私にはただの数字の羅列にしか感じられない
給料を貰っても、日々の発見や成長以上に
達成感というものがなかった

そんな時
ある職員さんが
異動する事になり

子どもたちと職員で
お別れ会をした

みんなが
「ありがとう」「楽しかったよ」
という中

私が職場で「王子さま」と思っていた
ものすごく可愛い男の子が

「寂しくても、空は繋がってるよ!」

と言って、職員全員で大号泣したのだった
(私は異動する職員さんより泣いた)

特にその子は、発達障害がある児童で
職員たちはみんな
この子がそんな素敵なことが言えるなんて!!と
失礼ながらに思っていたらしい

ただ私はというと
その子の特徴がどうのこうのではなくて

なんていい言葉なんだろう

と思ったのと

やっぱり私の王子さまは違うな

と思っていた

まるで私が異動するかのように号泣したので
子どもたちや職員にいじられてしまったのは言うまでもない


ただ、その言葉をきっかけに
子どもたちが私にくれる言葉や
可愛らしいプレゼントや手紙に

「私の原動力」を見つけていくのだった


ある日
いつも隅っこで本を読んでいたり
絵を描いている女の子の横で

私がみんなのために!と塗り絵の原画を描いていた

するとその女の子が
目をきらきらさせて

「絵、上手だねぇ!」

と言ってくれたのだ


「ありがとう」とお礼を言うと

「私、○○の塗り絵なら、塗り絵も頑張れると思うな…」

とぼそっと言った

その子にとって
その環境で、本を読む、絵を描く以外に
なにかに挑戦するというのが初めてだった

私は驚いたが
「頑張れるなら、私も頑張って塗り絵作ってくる!」と約束をした


それから仕事終わり、その子の言っていた
アニメ(私の認識ではパソコンゲームだった)のキャラクターや絵を調べて
その子が好きそうな絵柄を考え、塗りやすそうなポーズにして…


と、仕事終わりの時間を利用して
その子の背中を押せる
塗り絵の原画を描きあげたのだった。



完成後、その子に塗り絵を見せると
今まで見た事のないような明るく可愛い笑顔で

「ありがとう!大事に塗るね!」

と言われて
私は今までにない達成感を得たのだった




そうだ、これだ…

ありがとうという言葉も
大事に塗るという言葉も嬉しかった

しかし、私が一番嬉しかったのは

その子の新たな一歩の手伝いができた
その子の今までにない笑顔が見れた事だった


程なくして

私のパート契約期間も終了し
仕方なく、退職する日がやってきた

そんな出勤最後の日

その時のクソ上司のおかげで
お別れ会も開かれず
いきなり子どもたちを呼び集め

「今日でみんなと遊ぶのは最後です」と
クソ上司が子どもたちに告げた


それはそれは
子どもたちから上司へのクレームの嵐だった
「なんでもっと早く言わないんだ」
「もう遊べないなんて嫌だ」

でも私はみんなにこう言った

「私はみんなに手紙を書きました。今日、みんなが帰ったあとにどこかに貼るので、探して、読んでください。」


みんなに書いた手紙には

「私の夢を叶えてくれてありがとう」

と一言添えて
私らしく絵を描いて


宣言通り
みんなが帰ったあと、ひっそりと
壁に貼って、職場を後にした。



私の夢は

子どもと関わる仕事をする

だったが

その時は

「誰かの心に残る人間になること」に変化していた



その退職が今の私へと私自身を導く一歩となった





その後たくさんの難題や
険しい道を進んできたが


やっとこうして

腰を据えて

誰かに

発信していけるようになったことに
感謝しているし
今とても穏やかで充実している


日々応援して支えてくれる
大切な人たちが

温かく関わってくれる
たくさんの人たちが

少しでも

ホッとできるようなもの

を私はこれからも発信していくつもりである。


そんな中
皆様の空いた時間にチラッと見ていただければ幸いと
宣伝をさせて頂きたいと思います。

suzuriというアプリで
私のイラストをグッズ化し始めました

アイテムはまだ2個
しかし大事なのは

私自身が楽しんでいること

なので
お金は後からついてくるものだと思っているため
本当に、ちらっと見ていただいて
ほっとしていただければ幸いです。

suzuri:まぴこMAKER

Twitter:corazon_mapiko

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