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42.195km先は金閣寺 2

https://note.com/maowaninika/n/n7ee034c43f27

走っていても走っていなくても私はいつも独りで、孤独を感じているが、走っているときの孤独は心地がよい

私はいつも人と自分を比べる、比べて自分の価値が上か下かを見極める

自分より上の人に対しては恨み妬み、その人が周りからチヤホヤされようもんなら心の中で悪態を吐き、自分の醜さで気分が落ち込む

自分より下だと判断すれば、安心して見下して、嬉々としてその人の粗探しをする

こういう風に書き起こしてみると、自分はなんて嫌な生きものなんだろう

自業自得だが、こういう生き方はストレスが溜まる

ストレス発散ができて、大人から始めてもそこそこ楽しめるような、のめり込める趣味を見つけて、自分なりの楽しみを持とう

そう思い色んなことに手を出してきた

ダンス、バレエ、ボイストレーニング、英会話、着付け、テニス、その他もろもろ

どのジャンルにも、通う教室に、レッスンに、自分より上手い人がいて、そういう人はだいたい同年代か年下だった

もっと早くから始めていれば…子どもの頃に親が習わせてくれていれば…

楽しくなればなるほど、もっと極めたいと思えば思うほど、そういう思いが募っていく
自分より上手い人が可愛い顔をしてたらなおさら恨み妬みの負の感情が止まらない

敵わない、劣ってる、多少上達したとしても追いつけない、器量の悪い自分と産んだ親を呪い、習わせてもらえなかった幼少期を恨む

そうして一年も続かずにどれもやめてしまった

胸の奥にあるマグマのようなドロドロとした嫉妬心や絶望感に身体の中を燃やされて、苦しみしか感じない

時折マグマは噴火して自分より下だと思う人たちをネチネチと攻撃して、自身の火傷の跡を癒そうとするが、跡はより深く醜く広がっていく

しかし不思議なことに走っているときに嫉妬心や絶望感が湧き上がってくることはない

自分より速い人がいて、追い抜かされたとしても(その人が綺麗な人であっても)私の心はとても落ち着いている

そもそも誰かと競おうなんて思わないし、追い抜くのは自分がその人より速いペースで走っている、それだけだ

走ることは苦しい。足も痛いし、なにも楽しくない

ただ心の中は走る苦しみだけで一杯になり、マグマは静かな湖になる

自分のことで手一杯で他人と比べる余裕なんてない

身体はボロボロだけれども心はなんだか健やかになる

走ることは自分と向き合うことだと聞いたことがある。これは向き合えているのだろうか?

ある意味現実逃避なのかもしれないが、自分と他人という私の中のこんがらがったらイザコザから解放されて、自分だけの世界を手に入れることができる

自分だけの世界は自分以外に誰もいなくて孤独だけど、今まで感じていた孤独とは違う。冷たい夜明けに太陽が昇ってきて身体を少しずつ暖めてくれる、そんな心地良さがある、不思議だなー…

自分の住んでいるところから42.195km、ひらすら真っ直ぐ走り続けると京都の金閣寺へ行けるらしい

大阪から京都へ、身体一つで大阪府を越えられるなんて!

もし金閣寺まで走って行って、果たして帰って来られるだろうか?…帰りは電車かな

大会当日は遥か遠くの金閣寺を想いながら孤独に走ろう

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