「言葉狩り」不毛なフェミニズムを名乗る活動。もっとも愚かな結果がいまここにある。




「フェミニズム」「共産主義」「ツイフェミ」「リベラル」


そしてミサンドリーやミソジニーや反出生主義など。
これらの言葉に踊らされて右往左往する者たちがいる。
それは「表現の自由派」と「表現の規制派」である。



お母さん食堂の呼び名は差別的!
おへそを出して短いスカートをはいたVTuberをキャラクターとして起用した松戸市警察へ、女性差別を助長するな!
お母さんがご飯をつくるイメージを世の中に植えつけるな~
短いスカートなどの見た目が女性への偏見になる~
とじつは大騒ぎしており、ついにはサンリオが一部グッツを販売中止を決定するなどしていることをご存知な人はどれほどいるのだろうか?


いま実は、女性差別を表現の規制でなくそうとする動きがある。つまりは料理をつくるのは女性(女性のタレント、女性のキャラクター)を起用しないだとか非難をあげるべきスカートの短さを描くなどしたアニメ絵を公共の場からなくそう・・・という主張を企業や公共機関に一般の女性の立場で、その女性の声を汲み上げるかたちで議員が活動する「表現の規制」。
(※これらはツイフェミという単語をYouTubeに入力し検索すると今わらわらと複数のチャンネルが出てきて取り上げている)
クレームをフェミニズムの観点から企業などに入れようという活動なのだ。


「男女という男が先の呼び方が差別的」だから「女男にするべき」という活動が社会の教科書に載っていたのを記憶している


このことを恥を知っていただきたいと思っていたがここ2日ほどで考えがかわった。「言葉狩り」をそもそもちゃんとしなかったことが原因である。


クレームから表現の規制を目指すひとたちを「ラディカル派フェミニスト」(※解説と所感はこちらhttps://note.com/maounokyouiku/n/neb050b532314)という
これはフェミニズムというべきなので用法は正しいのですが、
「リベラル派フェミニスト」がおかしい。
リベラルとは政治の分野で自由を目指すことから保守と対立にあるとあるがそれはごく一部のリベラルでしかない。どころか時代遅れであると指摘したい。リベラルは1930年代にアメリカからはじまった。もう100年も前の出来事なのだ。


リベラルとは(Wikipediaから)
自由主義をとる様及び人、又は政治的に穏健な革新を目指す立場


自由主義は100年もたったので周知され(ここを否定しないでいただきたい100年あまりアメリカも日本も理解を示さなかったわけではない日本の教科書に載っているまであるんだから)、
保守派からある程度理解をされているため保守と常に対立を保つためにリベラルの言葉の定義から大きく逸脱したものが今リベラルを名乗り政治的に混乱をもたらしているのだ。


言葉の定義は本来なら言語学者と哲学者の仕事である。


当時のフェミニストは彼らと連携しなければならなかったのだ。
今国際化がすすんでいるからこそ海外の「ジェンダーによる規制」に日本も方向をきるべきだ、という「表現の規制」よりももっと危険なのが「リベラル」の誤用である。

おまえら、全員アメリカに本場に怒られろ

↓もうくそ下らないのでここからは魔王の一人言。
内容は昨日の思いつきならび言葉狩りをしたフェミニストへの苦言である。



突発的に今日(※昨日)思いついたんだけど紛らわしい名称を委員会つくって「君、紛らわしいですよ」、というツッコミさせたいよね。


言語学者と哲学者にプラス思想だったらその思想の持ち主にも意見を聞くぐらいか参加するか希望を聞いて。動いてもらおうかな、。連携させて。リベラルもフェミニズムも反出生主義者もちょっと迷惑千万だったからね?(※ちなみに私はリベラル派のフェミニスト枠)


ディベートちゃんとさせる委員会に設定すべきだよプラトン的に。

ある言葉に疑問を持ったときに委員会を召集。全員でそのことばの問題理由と適切理由のそのぜんぶを最初にあげさせる。

一回目。委員会全員で問題理由と適切理由を頭に叩き込む。
2回目。問題点あるチームと問題点なしチームに必ず半分半分に別れてディベートさせる。
3回目。議事録は公開させる。で提言させる。
「この言葉のつかいかたに問題ありませんか?」と。


それを言われた相手は

①検討しチョイスすることばをかえる。

②検討し納得がいかなければ大規模に意見を集めなければならない。ネットで公開などさせればいい偏らないようにして、(これって哲学者のたまごの暇潰しとそして登竜門にさせればいいよ?
哲学者の立場が弱すぎて・・・リベラルの単語の使い方を鼻で笑えないところはそこだけなんでね?彼らがもともとの本職だよ。言葉狩りなんて専門家にやらせたらいいんだよ、そもそも。ちゃんと言葉狩りさせればいい。)
一般公開は哲学好き一般人にも分析募ればいいじゃない、せっかく人口いるんだしせっかく義務教育だってしているんだしそういうのにつかわないともったいないよね

③もしくは異論申し立てができる。
まあどこまで拘束力があるかより問題を周知させたらいいんじゃないかな?
分析がなくて・・・私の分析がなくては今回お困りだったようだからねえ、ラディカルはフェミニズムだぞ、あれ。

専門家にやっていただきたいね、言葉狩り封じよう。
お仕事をしていただこうじゃないかとはいえまあそこまで変な言葉の使い方も早々ないけどね構想だけ残しておくかな
そもそも妻だとかなんだとかあの辺だって話させたら?飽きた話題かもしれないけれど。同じ単語は5年は間隔を空けさせそうか。5年ひと昔という言葉があるし。
ふむ???なんだろうね?飽きた話題かな?他の学問との交流目的、ディベートの手法研究あとなにがありますかね?






言葉狩り派(※暫定の呼び名)は自らの行いとここ最近のフェミニズムの動きに対して自省を促したい。
この「言葉狩り」は教科書にまで載っているぞ。
「男女雇用機会均等法」がさまざまな思想や団体が議論に参加したのでフェミニストが主導したとは言いがたく(むしろ当時のフェミニズムがではなく当時の与党の主導でしかないのだが)「フェミニスト=言葉狩り活動をする人たち」という理解を一部でされている。
いまだに男性パートナーに対する呼び方が“自分たちのコミュニティの”お困りごとで「連れ合い」などが適当では・・・?
という話があるとかないとか・・・
フェミニズムができることはそうじゃない。
もっと人権に目を向けるべきです。私自身も苦言を呈したい。

↓↓↓↓↓↓↓
ここからは補足的コピペを自分の過去発言をYouTubeとTwitterからこれに関連するもののみを(もうめんどくさい)貼り付けていくので勝手にみよ。


リベラルとは(Wikipediaから)
自由主義をとる様及び人、又は政治的に穏健な革新を目指す立場

「政治的に穏健な立場で革新」とは法の支配であるため現行法に寄り添った考えのはず。
「自由」は憲法の掲げる国民一人一人の自由の意味でなければならないし自分一人の自由でないため目を配らなければならない。




哲学的にみれば一人一派というものは礼儀みたいなもので当たり前にできていなければいけないことです
(プラトン派とかアリストテレス派とかありますけどここでは「その哲学への姿勢」のみに着眼します)

まず哲学とはなにか
簡単に自分のほんの理解の範囲だけを説明しますとかつて2000年もの昔。体系だった植物学も化学も数学も存在せずに国語もしっかりとした辞典もなかった時代。
哲学者ひとりひとりが世界を観測するための装置で判別機械でした。
辞典もなかったので(むかし金田一先生のいなかった頃の辞典をみてみてください。どう考えても違う、といったことが辞書として載っていた時代からまだそんなに時がたっていないのです。哲学ほどには)言葉ひとつひとつへの認識も時代と共に単語の意味が変わるので意味のある議論でした。

水を手のひらで掬うのよりはるかにとらえどころない世界というものへの認識を挑戦する学問でした。
それを可能とするのが他の人間からの批判でした。
プラトンやニーチェは哲学を宗教書のように盲信することを嫌っていたようです。それもそのはず、
批判というものは膨大かつ漠然とした自らの“世界への認識”を他人が支える役割や認識を新しくすることもしくは認識を変えることを可能とする手段なのです。
批判なくて哲学は成り立たないほどです。
まあプラトン的手法で古典がすぎると批判されそうですね。

ちなみに、学者ではありません。

ただの哲学好きなので批判はうれしいけど聞かれてしまうと困ります。

一人一派なのです。

(哲学は人類の産み出した最古の分類学だと信じている)


リベラルって今それとか本当に笑った
政治的に穏健な革新を目指すから方向失ってて鼻で笑う

リベラルって
①法律に従う
②法律に沿って立案する
ネット民でいうところの隙をみせるな、
③時代に合わなくなったとき法をかえる

だと思ってるしそれが一番

現実主義じゃないと③できないよな

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