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どうでもいい外の世界

他人のことが気になって仕方がない。やれあいつがどうしたと、やれこいつがどうしたと、学校でも会社でも行きつけのお店でも、人の噂は絶えない。昨日噂してやったと思ったら、今日は私がネタを提供、そして明後日には噂されている。知らないふりして、みんななんでも知っていて、SNSでひとっ飛び。そしてそれを楽しむ連中こそが、様々な社会を作り上げているとも言う。ありもしないことが、現実よりも現実味を帯びて。傷つく暇もない。

しかし、噂されている当事者たちの本来の姿は、噂している方からは一切見えない。例えば、このような工事中の柵の中で何が行われているのか、私には微塵も分からないのだ。

この間仕切りが、私たちの想像力を豊かにする。何も見えないけれど何か感じる、その空気で私たちは楽しめる。あいつら何やってんだ、ここはどうなるってんだ。ヤンヤヤンヤと外野はうるさい。

しかし、この間仕切りの、こちら側、本当は私が当事者なのではないかということ。外野は向こう側ではないかということ。噂されているのは私たちのことではないか、ということ。

要するに、他人なんて放っておけば良くて、自分の世界で生きていくことこそが、私たちの任務なんだね。私たちが当事者。だって、工事が終わって建物が出来たら、工事中のことなんて誰も覚えてないから。

これはスタジオの同期、懐かしい写真。

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