大きくなるって言うことは。
先日、成人式があり、無事大人の仲間入りを果たしました。小中高の友達とも久しぶりに再会して話す中で、それぞれがそれぞれの場所で頑張っていることを知り、「自分も頑張ろう」と気持ちを新たになりました。
成人式の中で市長が「新成人の皆様は成人としての自覚と責任をもって...」などと話しているのをぼんやりと聞きながらふと考えていたことがあります。それは「大人になるってどういうことか。どうなったら”大人”と呼べるのだろう」ということです。
これに対して、もしかしたら「20歳になったら大人だ」という答えがあるかもしれないですが、僕が言いたいのはそういうことではありません。そのような身体的・生物学的な”大人”ではなく、精神面での”大人”です。
結論から言うと僕が考える大人とは、「相手のことを自分と同じ一人の人間としてとらえられる人」だと思いました。
これだけ聞くと、「ふ~ん、当たり前じゃん。何言ってるの?」と思われる方もいるかもしれませんが、このことを考えていく中でいくつか思い出した出来事があったので紹介させてください。
1つ目は中学校の友達から聞いた「中学の先生が生徒からいじめられて精神的に病んで退職した」という話でした。その先生は僕自身も教えてもらったことがあり、とても優しい先生だったのでとてもショックなニュースでした。これを聞いて最初に思った感想が、「その生徒、子供だなあ」というものでした。この先生が退職したニュースは噂話として聞いただけなのでその生徒たちがどういう思いでやったのかも分からないし批判もできないのですが、多分その子たちは先生のことを「自分の自由を阻む敵」だとか「何しても壊れない強い存在」だと思っていたのではないでしょうか。まして自分たちの行為によって傷つけられた先生が退職してしまうなんてことや、どのような思いで教師をやっていたのかなどは想像できなかったでしょう。先生のことを自分と同じ一人の人間としてとらえられていたら、このような結果にはならなかったはずです。
2つ目は、自分自身の話です。これは確か中2の時でした。今でこそ仲が良く毎日2人で散歩に行き1時間は戻ってこないような仲の良い夫婦ですが、当時は喧嘩をすることも多々ありました。一度その喧嘩がヒートアップして、離婚寸前までいったことがありました。僕はその時「頼むから離婚しないでほしい。離婚したら家族がばらばらになって寂しいし、親戚関係や苗字のことなど面倒くさくなるし、同級生にも言わなきゃいけないし...」みたいな感じで思っていました。この騒動がひと段落してから友達にこのことを言ったら「俺は親が離婚したいってなったら賛成するな。だって親の人生だし、好きな人と一緒にいさせてあげたいから」みたいな感じで言われました。僕はこの発言にすごく衝撃を受け、「確かに僕は自分のことしか考えていなかったかもな」と思いました。この時の僕も親のことを1人の人間として捉えることができていなかったのかもしれません。思えば生まれた時から親の姿を見て親の真似をして学んできました。親がやったことはすべて正しく、自分もやっていい。と、心のどこかで親を神格化してたところがあるのかもしれません。それが、次第に成長するにつれて「親も間違えるし親も傷つく」と思えるようになったし、親の気持ちも考えることができるようになった気がします。
「どうなれば大人になったといえるのか」という問いに対する答えは人によってさまざまだと思うので、教えていただきたいです!
以上、ありがとうございました!
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